【幕間3】Dear My Friend(2)

 晶子は、ゆっくりとかみしめるように話した。
 病室に戻ったら岬が不自然にいなくなっていて、訳も分からず不安になっていた時、圭美が急に目を開けたということ。
   
  「圭美は、か細い声で、でもはっきりと『岬を助けて』って言ったの。『中條幸一っていう人に岬が連れて行かれたから、蒼嗣くんに伝えて』って......。そうじゃなきゃ、その場にいなかったあたしが中條って人の名前を知ることもなかったし、あんなにすぐ蒼嗣くんに連絡できなかったもん。圭美......どうしても岬を助けたかったんだね」
 晶子は微笑んだ。
   
   
  『圭美に対して、あんなにひどいことをした、あたしなのに』   
 心に温かいものが次々と湧き出てくる。
      
  『圭美の心は、なんて、強くて大きいんだろ......』
 心を満たす思いは岬の瞳から堰を切ったようにあふれ出す。
 
  「不思議なのはさ。眠ったままの大島さんに、何で中條幸一の名前が分かったのかってことだよ。それに、岬ちゃんが危険だってこともなぜ分かったのか......」
 尚吾が首をひねる。
   
 圭美は今まで植物状態だとされてきた。心臓も問題ないし自発呼吸もできるが、意思の疎通ができないということだった。圭美の両親によるとリハビリなどもしているとはいうが、目覚しい変化はなかったと岬は聞いていた。
 だが――、
   
  「多分、あたしとあの人の会話を聞いていたんだと、思います。それしか、考えられない......。圭美には――全部、聞こえてるんだ......」
 呆然と、岬は口にした。
   
 ずっと眠ったままだと思った。何の反応もなくて。
 でも違った。
 いつからなのかは分からない、全てなのか、それとも一部だけなのかも分からない。けれど、確実に、自分たちの声は圭美に届いていたのだと思うと、少々の気恥ずかしさと共に嬉しさもこみ上げてくる。


  「圭美に会いたい......」
 岬はぽつりと呟く。
 その呟きを口にしたことで、思いはいっそう強まった。
   
 そしてふと、思い出す。自分があの日、何をしに圭美のところへ行ったのか。
   
  「圭美の、お誕生祝い、本当はやるつもりだったし......、思いがけずこんなことになっちゃったけど、お流れにはしたくない......」
   
 岬の言葉に、その場にいた皆が顔を見合わせる。
   
  「そうだな、またいつか......」
 ごまかそうととする克也を、岬は真っ直ぐに見据えた。
   
  「違う!すぐにでもやりたいの!すぐにでも――圭美に会いに行きたいの!」
   
 岬の叫びに、克也が目を瞠った。

  「だって、圭美は、自分があんな状態なのにあたしのこと助けようとしてくれたんだよ?――あたしが、今ここに無事でいられるのは、ひとつには圭美のおかげでもあるんだもの。だから――会いたい。圭美に外の声が聞こえているなら、会って直接お礼を言いたいの!」
 すがるように、岬は克也を見つめる。
 目の前の晶子だけは何もいわないが、複雑そうな表情を浮かべている。
   
  「岬ちゃん、それは良く分かる。分かるけど!まだ岬ちゃんだってあんなことがあって回復したばかりだし、時期が早すぎるよ」
 尚吾も慌てたように岬をたしなめた。
   
   
 それに対して岬が反論しようと口を開きかけたところだった。   
   
  「それは、僕も賛成できないな」
   
 不意に、この場にいた五人とは別の声がその場に響いた。
 意外な声に、全員が声のした入り口を見る。
   
 そこに立っていたのは、村瀬実流医師だった。
   「長が来ているというので、今後の外出のことで話を進めようと思って来たら――、ちょっと聞こえてしまってね。立ち聞きするような形になってしまってごめんね」
 そう言いながら、緑のポロシャツ姿の実流はゆっくりと岬の方へと歩み寄る。
 実流が近づいてきたことで晶子がそっと岬の前からどいた。
 そのまま実流は岬の前に膝をついて、ベッド脇に座る岬の顔を正面から覗き込もうとする。  
 最初に反対されたことで、岬は実流の視線をまともに見ることができず、横を向いて目を逸らした。
   
  「まだ若いし、思い切り外に出たいだろうに、それでもこの部屋で頑張ってくれてるのは分かってるから、僕もできることなら、どんな願いでも叶えてあげたいよ。でも――、そこだけは、お勧めできない」
 実流は優しく、しかしきっぱりとそう言う。
   
  「岬さんには心の傷がある。それは二週間前に意識を取り戻した時、僕の着ている白衣に対して過剰に反応したことからも分かる。大島圭美さんのいる場所――そこは病院だ。白衣なんて吐いて捨てるほどいる。」
   
 岬にも心当たりがあるだけに、どきりとした。
 白衣の人に押さえ込まれる感覚――確かに体の芯から震えがくるような感覚に襲われる。
   
  「ここだって、この特別室に来る者は白衣を着ていないというだけで、この外にはたくさんの白衣を着た人がいるんだよ。君をここから出さないようにしている理由、ひとつには奈津河が手を出さないように守るという意味合いもあるんだけど、もうひとつ理由があるんだ。それは、そういう心の傷から君を守ろうということでもあるんだよ。だから正直、普通に外出させるというだけでも、僕は心配でもあるんだ」
   
  「村瀬先生......」
 実流の言うことはわかる。自分が無茶を言っていることも。
 でも、表面に出てこないだけで圭美に意識があるのだと分かった今、一分一秒でも待ちたくないほどなのだ。もちろん、今すぐでなくてもいい、けれど明日どうなるか分からないということが身にしみてしまった今、また争いの渦中に引きずり出される前に圭美に会っておきたいと、心が逸るのだ。
   
   
  「何より問題なのは――」
 実流は続ける。
  「大島圭美の病室、そこが、岬さんが中條幸一に拉致された、まさにその場所だということだ」
   
 その場にいた者全員に緊張が走ったように、重い空気が流れる。
   
  「岬さん、君は――、幸一に拉致されたその場所、その時に立っていたまさにその場所に行って――、正気を保てるだけの自信がある?」
 実流の問いに、岬は一瞬、次の句を継げなかった。何かを言いたいと思うのに、心の何かが邪魔してそれができない。
 大丈夫だと進もうとする自分と、ダメだと止める自分と――心が二つに分かれたかのような感覚。
  
 口を開きかけたまま固まった岬は、止める自分を無理やり押さえ込み、力を振り絞る。
   
  「自信は......ありません。でも、だったらなおさらのこと......行きたいです。あそこは絶対に今のあたしにとっては嫌な場所です。でもそれと同時に――大切な、親友の部屋でもあるんです。あたしは――圭美の病室を......嫌な場所のままに、したくない......」
   
  「その気持ちは分かるよ。でも、それにはもう少し時間をかけてゆっくりと行わないと君自身が壊れてしまうかもしれない。今慌ててそれをしなくても、もう少し落ち着いてからでもいいんじゃないのかな?」
 実流は優しく諭すように言う。
   
 岬は首を振った。
  「今、乗り越えないと、きっと闘いはそんなに待ってくれない。このままじゃ、あたしきっと――そのせいで負けてしまう。それも、嫌です」
   
 圭美に会いたい――最初は純粋にそれだけだった。けれど、自分が乗り越えなければならないものがあると聞き、ますます引き下がるわけには行かないと思った。
 中條幸一たちは、自分の大切な親友のいる場所を最悪な場所に変えてしまった。そして、今なお、自分にトラウマという呪縛をかけ続けている。
   
  『そんなものに負けたくない』
 拳を握り締める。
   
  「心の問題は、君が思っているより複雑だ。今回君が大島さんの病室に行ったとしても、乗り越えられるとは限らない。それどころか、状況がさらに悪化することだってある」
   
  「それでも――」
 岬はまっすぐに実流を見た。
  「何もしなくても、あたしが爆弾を抱えているのは変わらないんでしょう?だったら、何もしないより、行動を起こした方がいいはずです」
      
   
 ――沈黙が、流れる。
   
 難しい顔をして考え込んでいた克也が口を開いた。
  「実流さん――、俺からも無理を承知でお願いします。――彼女を、大島さんのところに行かせてください。どんなことがあっても俺が岬を守ります。だから――」
   
 克也の言葉に、実流は渋い顔をした。
  「克也様、心の傷を甘く見てはいけません。こんな早急に事を進めては、彼女の心が壊れる危険があるんですよ?」
   
 克也は唇を噛みしめ、しばし押し黙った。
   
  「それでも――、もしも俺が岬の立場でも、同じ事を考えると思うから――」
   
 克也の瞳と実流の瞳がぶつかり、しばらく見つめ合う。
 しばらくして、実流は大きくため息をついた。
   
  「全く......克也様も岬さんも結構頑固ですよね......。お二人そろってこれでは、今後が思いやられる......」
 そう言って微笑みながら肩をすくめる実流の表情は、否定的なものではなかった。   
  「分かりました。ただし、少しの時間だけです。誕生会というのではなく、会いに行くだけと言うことなら――、そして、少なくとも僕と長とが同行した状態で、という条件であれば――許可しましょう」

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