【幕間3】Dear My Friend(7)

  「麻莉絵......?」
   
 克也の口からその名前が出たことに、岬は違和感を感じる。
   
  「そう。岬が無事に、ここにいてくれること―― それは、かなり彼女のしてくれたことによるものが大きい」
 岬の頬に克也の指がそっと触れる。向けられたまなざしも、頬に触れる指と同じくらいに限りなく優しい。
   
  「麻莉絵は―― 俺たちが必死に岬の行方を探している最中に向こうから接触してきた。そこで俺たちと彼女は、『岬を助け出すまで』という条件付きで協力し合うことを約束したんだ」
   
 克也の言葉に、岬は驚きを隠せなかった。
   
  『だって......、克也は竜一族の長で、麻莉絵は奈津河の長の腹心の部下だよ......!?』
   
 最も相容れないとも思える者同士が協力したということが、岬にはにわかに信じがたかった。
 だが、こんな時にこんな嘘がつける克也ではないことも、岬には分かっている。
 岬は呆然と、克也を見つめ続けた。
   
  「麻莉絵は、病院に潜入していた大貫将高と連絡をとりながら、内部の状況などの情報を細かく俺たちに提供してくれた。岬に投与されたのがParadiseという危険な薬で、今が一刻を争う事態だと教えてくれたのも、グリーンタウン総合病院に潜入するためのIDカードなどを用意してくれたのも麻莉絵だ。そして彼女は――俺と一緒に病院に忍び込んだ。ぎりぎりまで彼女はお前のそばで、お前を見ていて――、俺が知る限り彼女はずっとお前の味方だった。―― 麻莉絵がいなかったら、あんなに迅速に岬を助けることができていたかどうか分からない」
  
 克也の表情は固く、克也のこんな表情を見るたびに、今回のことが本当に深刻な状況だったのだと何度も感じずにはいられない。岬自身も本気で絶望した瞬間が確かにあった。
 そんな中、自分を助けようとしてくれた人がたくさんいてくれた。その人たちのおかげで自分は今、こうして無事に――、『自分が自分であるまま』生きている。
   
 『麻莉絵は――、敵である克也と手を組んでまで――あたしを......』
   
 岬は、そこでふと心配になった。
   
  「克也たちと手を組むなんて、御嵩さんを裏切るようなことをして......。麻莉絵は大丈夫かな?」
   
 克也は、微笑んだ。 
   
  「今回のことに限っては、麻莉絵の行動は御嵩にとっては『裏切り』に当たらないんだろう」
  「―― 本当に?」
   
 岬の問いに克也は静かに頷いた。
      
  「御嵩は――、宝刀の力の持ち主であるお前を、幸一たちに奪われるわけにはいかなかった。御嵩と幸一たちの仲は良いとはいえなく―― いや、むしろ長年いがみ合ってきたと言っていいと思う。だから幸一たちをなんとしても阻止したいという思いがあったはずだ。かといって御嵩自らが動くことは、明らかな内部闘争に発展してしまう危険がある。それなら―― 敵であっても俺たちに助け出させた方が得策だと考えて、麻莉絵の行動を黙認したんだろう。麻莉絵自身も、動くのは中條御嵩のためでもあると言っていた。ただし、それとともに、―― 純粋にお前を助けたくて動くのだとも言っていた......。麻莉絵も大貫も幸一たちに顔を知られている以上、少しでも行動を起こすことで御嵩が動いていることを知られるリスクも高くなる。危険すぎる賭けでだったことも間違いない。でも麻莉絵は―― 危険を冒しても、お前を助けたかったんだと言って―― 実際に、動いてくれた」   
   
  「麻莉絵......」
 目頭にまた熱いものがこみ上げ、岬は思わず瞳を閉じた。
  「なんか、もう、あたし、涙腺緩みまくり......」
 ごまかすように笑いながら、岬は涙を手で拭った。
   
  「―― 麻莉絵は、あたしがこんな風に回復していること、知ってるのかな?」
  「あちらも、岬の動向には気を配っているはずだ。あの中條御嵩が俺たちの行動を把握していないわけがない。そこから、岬の様子も伝わっていると思う」
  「そっか......」
 とりあえず、その事実だけでも伝わっているなら、いいなと思う。
   
 ――ただ――
   
  「でも、やっぱり、本当は自分の口で伝えたいよ。おかげでこんなに元気になったよ、って――」
  「そうだな......。確かにその方が喜ぶと、思う」
   
 克也も頷く。
   
  「でも、どうやってお礼を言ったらいいんだろう......」
 呆然と、岬は呟いた。
   
  「本当は―― 会って話ができるのが一番いいんだろうけど――」
 口元に手を当てて考え込んだ克也は、やがて何かを思いついたような表情で、ポケットを探る。
   
  「その時に連絡手段として教えてもらった番号だから、今も生きている番号かどうかも分からないし、もし生きている番号だったとしても、果たして出てもらえるかどうか、分からないけど......」
 そう言って、取り出したのは克也の携帯電話だった。
   
 発信の操作をし、克也は岬へと携帯を渡す。
   
 緊張に、心臓が早鐘を打つ。
   
 呼び出し音が鳴るが、なかなか出ない。岬には、この時間が永遠に続くのではないかと感じられた。
 そんな時間に耐え切れなくなって、思わず携帯から耳を離しかけた時―― 
   
  『もしもし?』
   
 聞き覚えのある声が、岬の耳に届いた。
   
  『何か用?岬は保護したんだし、もうあんたとの協力体制は解消のはずだけど?』
   
 竹を割ったような性格がよく表れている、その声。
 様々な思いが交錯し、岬はすぐに声を出すことができなかった。
   
 麻莉絵は、相手が何も言わないことを怪訝に思ったのだろう。
      
  『用がないなら切るわよ』
   
 そう言われて岬は焦った。
 今、この状態のまま切られてしまったら、麻莉絵のことだから二度と出てくれない気がする。
   
  「―― ま、待って!」
 やっとのことで声が出せた。
   
 一瞬の間の後――
   
  『岬!?』
 携帯越しに声の主――麻莉絵が驚いたような声を上げる。
   
  『岬!岬なの!?――本当に?――って、朴念仁の携帯からかかってきたんだから、本物なわけよね......』
 少々慌てたような声。
   
  「朴念仁?」
 思わず聞き返す。
  『ああ、なんでもないの。気にしないで。それより―― 』
 そこで、麻莉絵は言葉を切った。   
   
  『元気に......なったのね。話だけは聞いてはいたけど、あの状態からそこまで回復できたなんて......信じられない気分だわ』
  「うん......後から色々聞いて――。あたし自身も信じられない気分」
   

  「克也に聞いたの。―― 麻莉絵が、あたしを助けるために色んなことしてくれたって――。ありがとう」
 岬は微笑んだ。電話越しでは表情は伝わらないだろう。けれど心をこめてそう伝えた。
 麻莉絵には、伝わっただろうか......?
   
  「お礼なんていいの。あたしが岬を助けたかったから勝手にしたことよ。恩に着せようなんて思ってないから気にしないで。岬がこうして回復してくれればあたしはそれで十分」   
  「麻莉絵......ほんとにありがとう、ありがとう......」
 岬は繰り返した。言わなくていいと言われても、言わずにはいられない。
   
 ―― だから、言わなくていいんだってば ―― そう、半ば呆れたような声が聞こえる。苦笑する麻莉絵の顔が見えるようだと岬は思った。
    
  『それより、ごめんね岬。奈津河の内輪もめにあんたを巻き込んじゃって。幸一はおこがましくも御嵩様に取って代わろうとしたのよ。自分の力だけじゃかなわないからって、あんたの宝刀の力をかさに着て好き勝手しようだなんて―― ほとほと呆れるわ。いなくなってくれてせいせいした』
   
 その言葉に、岬の心が重くなる。
 仕方がなかったとはいえ、自分は麻莉絵の仲間である奈津河の人間を消してしまったのだ。
    
  「奈津河の人間を――、消してしまって――あたしこそごめんなさい......」
   
 岬の言葉に麻莉絵は吹き出した。   
  『そんなこといいの!もともとあいつらは御嵩様にとって目の上のたんこぶだったし。だいたい、いちいち敵を殺すたびに心を痛めていたら、身が持たないわよ』
   
 麻莉絵は笑った。そして間をおいて――

  『でもまあ、岬はそれでいいのかもしれない。そんな岬だからこそ、あたしは好きなんだもの。そんな優しい岬だから、幸一の魔の手から何としても救い出したいと思ったの。たとえ、一時は敵に協力することになってもいいと思えるほどにね』   
 そう言う麻莉絵の声はとても優しかった。
   
 だが――。
      
  『岬が回復して――、これであたしも心おきなく再び闘いに専念できるわ』
   
 麻莉絵の言葉に、それまで温かかった岬の心が一気に冷える気がした。

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