心の扉を開く鍵(4)
高島と合流した岬たちは、学校の近所のショッピングモールの中のフードコートで昼食をとっていた。
もちろん、一応デートだからと遠慮した利衛子も一緒だ。
どの学校も終業式はほぼこの日と決まっているとみえ、フードコートは学生服の集団でごったがえしている。
「あれ?こんなところにいたんだ」
おもむろに背後から声をかけられ、顔を上げるとそこには先ほど学校で分かれた明日香が立っていた。
明日香に目を留めた瞬間、胸にかかるネックレスから克也の蒼い力が強まるのを感じ、思わず岬は隣に座る克也を見上げた。
克也は真っ直ぐに明日香を見ている。
『そういえば、さっき学校でも、厳しい目をして明日香を見てた?―― 何か、あるの?』
自分も明日香を見るが、明日香からは何も感じることができない。
そんな時、
「明日香ちゃん、こっち席空いてた?」
明日香を呼ぶ甘ったるい声がその場に届いた。明日香が振り返り、
「雁乃」
と名を呼ぶ。
そこにいたのは、同じ高校の制服を着た女の子だった。だが、岬には明日香の後ろで笑う茶髪の女の子に覚えはない。
「お友達?」
明日香からの誘いを断ってしまった手前、明日香が誰かと一緒にいることに、少しホッとして岬は尋ねた。すると、明日香は目を丸くする。
「岬―― 何言ってるの? この子は吉沢雁乃!友達の顔も忘れちゃったの!?」
呆れたように明日香が声を張り上げた。
「え?」
なおも首をかしげる岬の横で晶子がまるで今思い出したかのようにぽんと手を叩いた。
「そうだよ、岬!この子、岬と同じ一組の子じゃん!」
『何?』
自分はこの子を知らないし、見かけたこともない。それなのに、明日香も晶子も当然のように『雁乃』を友達だと言う。
自分の足元が揺れるような不安を覚えて、岬は助けを求めるように克也振り返った。
「大丈夫だ。岬は間違ってない」
そう言うと、克也は椅子から立ち上がった。目が真剣だ。
そんな克也を見つめる岬の肩に、利衛子の手がそっと添えられる。
「大丈夫だよ、岬ちゃん」
なだめるような利衛子の声に、岬がゆっくりと振り向くと、利衛子も真剣な面持ちで頷いた。
明日香の前に進み出た克也だが、視線は明日香の後ろの『雁乃』を真っ直ぐに見据えていた。
「お前―― どういうつもりだ?」
克也の表情は動かないが、冷ややかなその声に苛立ちがにじみ出ている。
「どうって......ちょっと蒼嗣くん、顔が怖いよ!」
明日香の制止も耳に入らないというように、克也は黙ったままだ。
「そんなに睨まなくても、私は岬さんに何もしないよ。ただ、普通の高校生活っていうの?やってるだけだしっ」
拗ねたような声を出し、雁乃は胸の辺りまで伸びた髪の一束をくるくると指先で弄んだ。
「お前の言葉を素直に信じるほど馬鹿じゃない。あいつか、吉沢鷹乃が黒幕か?」
「だから、私は何にも知らないんだってば......。やだー、明日香ちゃん、蒼嗣くんがいじめるー」
そう言って雁乃は明日香の背後に隠れるように滑り込み、上目遣いで見上げた。
「おい......」
なおも詰め寄ろうとする克也の前に明日香が立ちはだかった。
「ちょっと!いくら岬の彼氏でもこれ以上は怒るよ!雁乃は何にもしてないじゃない!―― 感じ悪っ!あっち行こう、雁乃」
そう言って守るように雁乃の肩を抱いて踵を返す。
一歩踏み出したところで明日香は振り返る。
「ごめん、今日はもう行くね。またね、岬」
「あ、ああ、......うん」
岬はとりあえず頷いたが、訳が分からず、明日香と雁乃の後姿を呆然と見送る。
「どうしたんだ?いつも冷静なお前らしくない......。」
高島が克也に話しかける。克也は高島に複雑そうな笑顔を向けた。
「ねえ、重くん、あたしアイス食べたくなっちゃった。あっちで一緒に買おうよ」
気まずい雰囲気に耐えられなくなったのか、晶子が高島の腕を引いた。
「岬たちは?」
「あ、あたしはいい」
それよりも岬には明日香と一緒にいた女の子『雁乃』のことが気になっていた。
克也も利衛子も同じで、晶子と高島だけ少し向こうにあるアイスショップに向かった。
晶子と高島を目で見やりながら、岬は目の前の克也のシャツを引っ張った。
「ねえ、克也。どうしたの?どういうこと?」
岬の問いに一拍置いて、克也はゆっくりと振り返る。
「吉沢雁乃は―― 中條幸一の下についていた」
「え......っ」
『幸一』の名前に岬は体の奥がひやりとするのを感じた。
まだ心のどこかにあの時の恐怖が残っている――。その恐怖に溺れないように、体の横でぎゅっと拳を握り締める。
「岬が幸一に捕まっていた時、俺は一度吉沢雁乃と闘った。雁乃だけなら恐れることはないが......、その後ろにはおそらく―― 、奈津河の幹部である吉沢鷹乃がついている。だから要注意なんだ。今回も、雁乃を鷹乃が動かしていることは九十九パーセント間違いない」
克也は遠くを睨んだ。
「よしざわ......たかの......。奈津河の幹部......ってことは、御嵩さんが動いてるってこと?」
「いや......おそらく鷹乃単独だ。あいつは、御嵩と言うよりどちらかというと幸一についていたようなものだから......」
「そっか」
自分にとっては憎い相手でしかない幸一。
幸一を消したことに後悔はない。ただ、こういう話を聞いてしまうと、心のどこかが鈍く重く痛む。
誰かを殺めれば、その人を大切に想う誰かから憎しみを向けられる。
負のスパイラル。
『どうしても、止められないのかな......。一体今度は何が起こるんだろう......』
また良くないことが、近いうちにきっと起きる。
それを自分は、自分たちは乗り越えられるのだろうか。
どんよりとした気持ちで視線を自分の足元に移すと、そっと頬に克也の指が触れた。
顔を上げると、克也は優しく微笑んでいた。
『克也は、強いな』
幼い頃から、色んなことがあったと利衛子に聞いたばかりだから、なおさらそう思うのかもしれない。
きっと、不安を感じないわけではないと思うのに、それを表に出さないどころか、岬を励ますようにこうして微笑んでくれる。
『あたしも、克也みたいに、心が強くなれるかな』
そんなことを思っていると、克也は急に真顔になった。
「吉沢雁乃、そして鷹乃。二人の得意とするのは『人の精神に介入する』術だ。雁乃は片倉に近づいて以前からの友達だという意識を植え付けた。そしてさっき、井澤と高島先輩にもその術をかけたんだ」
「えっ!......そっか、だからさっき晶子たちまで――。って、あれ?でも、なんであたしたちは大丈夫なの?」
「それは、岬に俺の力が働いているから。そのネックレスを通して」
岬ははっとして胸の辺りに手をやる。
「俺も利衛も学校にいたときから......岬の精神に入り込もうとする奈津河の気を、片倉から感じ取っていた。学校で片倉に話しかけられた時に違和感があっただろ?」
岬はあっと思う。確かに、あの時、なんだか変だった。
「だから片倉がここに現れた時、それを跳ね返す術を施したんだ」
「あたしには『他人の精神に介入する力』はないから、少しばかり克也に分けてもらってね」
利衛子がウインクする。
「克也にはその力があるの?」
「......ああ」
克也は複雑そうな表情で頷いた。
「とっさのことだったし、あまり目立つわけにはいかなかったから、井澤たちまでは守ってやれなかったけど......」
少し申し訳なさそうに言う。
「まあ、今のところ晶子ちゃんたちには害のない状態だし、相手の出方を窺うという意味でも、様子を見るってことでいいと思うよ」
利衛子はふうっと大きく息を吐いた。
岬は、雁乃たちの消えていった方をぼんやりと見つめる。
何故か胸騒ぎが、止まらなかった。