賭け(4)
「とにかくあの男――蒼嗣克也を私の前に連れてきてくださいよ。ここにあの男を連れてきてくれれば、術を解いてあげてもいいと私が思うことも―― 絶対にない、とも言い切れませんしね」
「術を解く?あなたが?」
鷹乃が口にしたことの一部がにわかには信じられず、岬は聞き返した。
「まあ、あるかもしれない、程度のことですけど、全く可能性がないとは言えませんよ?私は気まぐれですからね。連れてこなければゼロ、連れてくればその確率がほんの少しあがるというところでしょうか?この数字をどう見るかですよね」
鷹乃は完全に面白がっている。岬たちがどういう反応をするのかが分かっていて、その上であえて聞いているのが明らかだ。顔色を変える岬を見、鷹乃は満足そうに口の端を上げる。
「栃野岬、あなたのその悲愴な顔も確かに見たかったから、今私の気分はいいんですよ。けれど、私が何より見たいのは、あの男の恐怖に満ちた腑抜けた顔なんですよ。あのすました顔が狂って狂いきって狼狽する......それが見たい。こう引きこもっていられては、私が手を下せないですから」
心底面白くなさそうに鷹乃が言う。
「もし蒼嗣克也を連れてこないなら、私ももう二度と貴女たちには会いません。そうなれば、あの男は私に直接殺されることがない代わりに、やがては『闇獏』に殺されることになるでしょうけどね」
克也をここに連れてこなければ鷹乃はもう二度と会わないという。それは、鷹乃に直接手を下されることは避けられても、克也の苦しみは死を迎えるまで終わらないという意味だ。
「幸一様を殺した罪は簡単に許せるものじゃない。苦しんで苦しんで苦しみぬいて、そして狂えばいい。そして今にも狂い死ぬというその瞬間に――、私がこの手で殺してやります」
鷹乃は声高らかに嗤った。
やり場のない感情が心に渦巻くのを収めるように、岬は大きく息を吸った。
『落ち着いて......あたしができるかぎりのことをするって決めてきたじゃない』
そう。克也を連れて来いといわれることは予想していたことだ。そんなことは分かっている。けれど実際に言われると心に受ける衝撃は思っていたより強い。鷹乃は人の心に介入することを最も得意とすると聞く。すでに鷹乃の思惑通りに事が動いているような気がして、はっとする。
『でも、あたしは、克也を助けるんだ。絶対に』
岬は強く拳を握り締める。
息を吐くと、岬は口を開いた。
「もし、このまま克也が出てこなければ、少なくともあなたが止めを刺すことはできなくなるよね」
岬の言葉に鷹乃の笑いが止んだ。
「なんです?」
鷹乃は怪訝な顔で問う。
岬は一つの覚悟を持って顔を上げた。
「あなたが一番したいのはその手で克也を殺すことでしょ?あなたにそんな満足は与えてあげない」
真っ直ぐに見据える。
「何を言っているんですか?蒼嗣克也が苦しんで狂い死ぬのをこのまま黙って見ていると?そんなこと、貴女に耐えられるんですか?」
「もちろん――、本当は嫌だよ。克也が死ぬのは嫌。でもあなたなんかに殺されるぐらいならその方がマシ!」
声が震えないよう、両足に力を入れ、必死に口を動かす。
「それに、あたしは諦めない!あなたなんかに頼まなくても、他の方法を試してみせる。だって―― 」
そこでごくりと唾を飲み込む。
「あたしは、『宝刀の力の主』だもの。よく考えたら全てを無にできるのなら、闇獏だって消せるかもしれない」
岬は今、最も嫌なものを武器にしていた。宝刀の力は人の存在を跡形もなく消し去る悪魔のような力だと岬自身、今でも思っている。けれど、こうでもしなければ鷹乃と対等に取引ができない。 『この娘なら、何とかしてしまうかもしれない』と相手に危機感を持たせるためには、はったりでも、嫌なものでも、使えるものは何でも使わなければならないのだ。
「宝刀の力、ねえ。私が知る限り、貴女にはその力を満足に使いこなせるとは思わないのですが」
皮肉の色をにじませ、鷹乃が言う。
やはりそこをついてきたか、と岬は心の中で眉をひそめた。だが、動揺を悟られるわけにはいかない。
「以前のあたしならね。でも―― あの時、朦朧とする意識の中であたしはもう一人の『宝刀の力の主』と出会った。その人の力を借りてなら、なんとかできるかもしれない」
「もう一人の宝刀の力の主?」
「昔、宝刀の力を封印しようとした少女。宝刀の力があまりにも大きく強いものだったために彼女は封印に失敗して――、そのせいでずっと宝刀の力と離れることができないでいる。だから今も―― 宝刀の力とともにあたしの中に、いる」
これははったりではなく、彼女――『柚沙』が実際に言ったことだ。
だが、鷹乃はこれを真実だと受け取ってくれるだろうか。心に浮かぶ不安を必死に打ち消しながら岬は言葉を紡ぐ。
「だからあなたの望みは叶えてあげない。あたしは克也を助ける」
岬は言い切った。
岬の目に、鷹乃の拳が怒りに震えだすのが映る。
「この生意気娘!」
鬼のような形相で鷹乃が叫んだ。目の前につかつかと歩み寄り、岬の頬へと手が振り上げられる。次に起こることを予測して岬は反射的に目をつぶって身を縮めた。その瞬間、岬の目の前に素早く利衛子が立ちはだかる。
だが、鷹乃の手は利衛子をかすめたところで、最後まで振り下ろされること無く止まった。
―― 尚吾の外的な術力が、鷹乃の体の自由を奪っていた。冷静な鷹乃が感情を顕にする一瞬の隙を突いて発動した力だった。
鷹乃は体を強張らせ、唇を苦しげに歪ませる。
「―― そういう、ことか......」
隙を突かれたことに対して苛立ちを顕にし、鷹乃は斜め横に現れた、自分を拘束する人物を目だけで追って睨んだ。
「少なくともお前とぐらいは互角に戦える自信はあるよ。お前が感情的になって隙が生まれる瞬間を待ってた」
鷹乃を拘束する力を発揮しながら、尚吾は不敵に笑う。
「こんなことして――、蒼嗣克也の術を解けと、言いたいんですか?」
「察しがいいことで」
今度は岬の横に立つ利衛子が肩をすくめた。
岬も、利衛子も、そして尚吾も、今自分たちが優位に立ったことを確信した。
だが―― 次の刹那、尚吾と利衛子の瞳は驚愕に見開かれる。
尚吾は、自分の手が自分の制御を失うような感覚に眉をひそめた。
「尚吾!――あそこ......!」
同じく体の自由が奪われた利衛子が力の入らなくなった右腕を必死で動かして少し離れた草むらを指差す。
そこには吉沢雁乃が、力のオーラを放ちながら立っていた。
「吉沢さん......!」
岬が名を呼ぶと、雁乃はふいっと瞳を逸らした。
「先輩っ!利衛さんっ...!」
二人の異変に気づいた岬が叫ぶも、二人は苦しそうに地面に膝をついた。
「鷹乃!―― やめてっ......!」
岬は叫んだ。こんなことをしてもやめてくれるとは到底思えなかったが、言わずにはいられなかった。
「おとなしくしていればいいものを、余計な手出しをするからですよ。雁乃と私の力を合わせれば特殊な結界を作ることが可能なんです。雁乃は心の入り口を開き、私がそこから毒を流し込む......同種の力を持ち、特別な絆で結ばれた私と雁乃だからこそできる素晴らしい術です」
鷹乃は愉悦の表情を浮かべ呟く。
「毒を流し込まれた者はどうなると思います?」
岬は反射的に一歩後ろに引いた。嫌な予感がする。
「ほら......こんな風に......」
鷹乃が手をすうっと垂直に顔の位置まで動かしたその瞬間、岬は急に傍らの利衛子によって突き飛ばされ、尻餅をついてしまう。
「利衛、さん......?」
見上げた先には、狼狽した表情の利衛子が、まるでロボットのようにぎくしゃくと動いていた。
「う......ああ......」
何かを言う自由も奪われているのか、うめき声を上げている。
鮮やかな笑みを浮かべ、鷹乃は尚吾を見た。
「利由、あなたも同じようにしてさしあげましょうか?」
そう言って、さらに手を動かすと、尚吾の体がゆっくりと横に動いた。
「どうしましょう?このまま操って、無理やり蒼嗣克也をここに連れて来させましょうかね。―― と、その前に、そこの生意気なお嬢ちゃんをちょっと痛い目に遭わせてもらいましょうか......?」
鷹乃は楽しそうにくすくすと笑う。
尚吾の表情が歪む、何かに反抗するように苦しそうに顔をゆがめている。
目の前に迫った尚吾に、岬は息を呑んだ。
次の刹那、
「......っざけんなよっ!」
そう叫び、苦痛に表情を歪めていた尚吾の瞳が突然かっと見開かれる。そのまま尚吾は自分の力を自らの腿に打ち込んだ。そしてすかさず、鷹乃ではなく、少し離れた雁乃の手元を狙い、光の刃を投げる。刃は雁乃のしていた腕時計を砕き、雁乃は小さな悲鳴を上げた。
「利由、おまえっ!」
術を解かれたことに対してか、もしくは雁乃に攻撃をしたことに対してか―― 何かに苛立ったように鷹乃は叫んだ。
対する尚吾も笑みを浮かべる。
「言ったろ?お前となら互角に闘えるって。克也のために、岬ちゃんを危険な目にあわせるわけにはいかねーんだよ!」
尚吾の太ももからは先ほど自らの力を受け止めたせいで鮮血がジーパンを染めていた。
尚吾の行動で鷹乃か雁乃のどちらかの集中が途切れたのか、利衛子も自由を取り戻したらしく、「岬ちゃん、ごめんねえー!」と岬に抱きついてくる。
その様子を見やり、忌々しげに鷹乃は舌打ちした。
またもや形勢逆転かと思われたその時――、鷹乃はおもむろに、にいと口の端を上げた。
思わぬ鷹乃の反応に、三人とも眉をひそめる。
「あなたたちには意外にも少々焦らされてしまいましたよ―― この私が。褒めてあげます。けれど――」
鷹乃は肩を揺らし、くっくっと笑う。
「せっかくこんなことまでしたのに、貴方たちが守るべき蒼嗣克也は安全圏からわざわざ出てきちゃいましたね。あなたがたが体を張って助けようとしたのに、残念なことですね」
そう言って、目だけを動かして離れた場所の何かを見る。
その言葉に、岬たちは三人とも弾かれたように鷹乃の視線を追った。
鷹乃の視線の先、そこには、ふらふらとおぼつかない足取りで、克也がこちらへと向かってくるのが見える。
「克也!なんで出てきたの!?」
「水皇さんは、止めてくれなかったのか!?」
利衛子と尚吾が同時に叫んだ。