賭け(5)

 突然その場に現れた克也を前に、岬も愕然とする気持ちを抑えられなかった。
  「そんな......どうして......」
   
 岬は克也の目の前へと駆け寄った。
 克也は身体中あせびっしょりで、まるで長距離を走ってきたように激しく息も上がっている。前かがみになり、壁伝いに手をつきながら歩いていた。
   
  「克也、ここは危険なんだよ!どうしてここに来たりしたの!?」
 思わず岬は責めるような口調で大声を出してしまった。ここで克也が出てきてしまっては自分が何のために一人で外に出たのかが分からなくなってしまう。
 岬の剣幕に、克也がびくりと一歩後ずさりした。その拍子に足がもつれたが、壁に手をついて体を支える。左手で壁に寄りかかりながら克也は顔を上げて岬を見る。
   
  「岬ちゃんが......、僕の、ために怖い人と闘ってる、のにっ......。僕だけ、安全な、とこにいるなんて、やだっ......!もしも僕のせい、で......岬ちゃんがいなくなっちゃっ......たら―― 」
   
 肩で息をしながら言葉を紡ぐせいで、途切れ途切れの克也の言葉。その言葉に岬ははっとした。
 今克也が言ったことは『幼い克也』には決して全ては言えない言葉だ。幼い克也には今岬が『何のために』久遠の屋敷の外に出るかは言っていない。それにたとえ言ったとしても分からないことだろう。けれど今の言葉によると、岬の行動が『克也を救うため』だということを、目の前の克也は分かっているということになる。高校生の克也の意識が確かに残っている証拠だ。
      
  「僕......何も、でき......ないし......みさきちゃんの邪魔に、なるって......分かってる、けどっ......」
 頭が痛むのか、克也は時折瞳を閉じてこめかみの辺りを手のひらで押すような仕草をする。
  「けどっ......、岬ちゃんと、一緒に......いたいよ......っ」
   
 克也の言葉は、岬の心に刺さるものがあった。
 一緒にいると足手まといになるのが分かっていても、それでも一緒に闘いたいという、今の克也の思い。それは、自分が一緒にいることで克也がつらい立場に立たされるのが分かっているのに、それでも一緒にいたいと思う岬の思いと同じだ。
   
 水皇が教えてくれたことを岬は今また心の中で反芻していた。
 自分がいることで、克也が強くなれるはずだということ。そして自分も、克也がいるから頑張れるということ―― 。
  「そうだよね......。あたしたちは、一緒に闘うことで強くなれるはずだよね。―― ごめんね、黙っていなくなって」
 岬は微笑む。
  『たとえ、どんなに危険でも、あたしたちは【ふたり一緒に】頑張るんだよね』
 その思いを胸に、岬は目の前の克也の首に腕を回し、抱きしめた。
   
 その時、岬の背後で  
  「なぜだ!?なぜ狂わない!?なぜそんな風に正気を保っていられる!?なぜお前はあんな酷い記憶を辿っても狂いきらないんだ!」
 鷹乃の狼狽したような叫びが聞こえた。
  「『闇獏』の力が確かなことは、その娘で立証済みのはず。それなのに――」
 克也の様子が想像と違ったのだろう。信じられないものを見るようにその目は見開かれ、体中を震わせている。
   
 克也を庇うように抱きしめながら、岬は視線を鷹乃に向ける。
  「克也は、ずっと―― 闇獏と闘ってる!克也はあなたが思うより本当はずっとずっと強い人なんだから、簡単に負けたりしないよ!そしてあたしも最大限に克也を支える!あなたの思い通りになんて、させないんだから......!」
  「なんですって!?」
 鷹乃はヒステリックに叫び、岬を睨みつける。
   
 鷹乃と岬は睨みあった。流れる冷ややかな沈黙と、視線がぶつかる衝撃。
   
 わなわなと体を震わせ、鷹乃は拳を握り締めた。     
  「本当は、私の美学に反する野蛮な闘い方は極力したくなかったけど―― こうなったら、もうどうでもいい......。あんたたちだけは生かしてはおけない!―― 殺してやる!あんたたちを殺してやる!!」
 そう鷹乃が言い終わるや否や、鷹乃の破壊する力が岬と克也に向かい放出される。
 岬は反射的に後ろに跳んで避けた。克也の腕を引いたつもりだったが、うまく引けなかった。克也はとっさに結界らしきものを張ったようだが、受け止めきれず横に弾き飛ばされる。
  『克也の力が弱いの!?そんな――』
      
 克也の力がちゃんと出せてない。
 闇獏に苛まれ、弱った心と体では、ちゃんと力が出せないのか、それとも記憶が幼い頃に戻っているために力すらも当時の状態になっているのか......。
 岬は唇を噛みしめる。
   
 愕然とする岬を前に、鷹乃は満足そうに微笑んだ。
  「いくら平気そうに見えても、体的には確実にダメージは受けてるということですね。私は今、百パーセントの力を出しているわけではないんですよ?通常なら、この程度の攻撃、竜の長ともあろう者が避けきれないはずがない。でも、今なら簡単に命を奪えるというわけですか。なんてありがたい!」
 鷹乃は声高らかに嗤った。
   
  「克也!」「岬ちゃんっ!」
 尚吾と利衛子が岬たちの援護にまわろうとしたが、その行く手を雁乃が遮る。
  「鷹乃姉さまのためだからね。悪いけどあんたたちはあたしが相手だよ」
 そう言うと、雁乃は身を翻し塀から跳躍した。
 
 鷹乃の攻撃は止むことがなく、克也がふらりと倒れこみそうになるところに、鷹乃はすかさず光の杭を打ち込もうとする。
   
  「克也っ!」
 岬はとっさに克也の目の前に跳び出た。   
 その一瞬、岬の背中に焼けるような痛みが走る。そのまま、岬は克也に覆いかぶさるような体勢で崩れるように倒れこんだ。   
  「岬ちゃんっ......!」
 克也の悲鳴がその場に響く。
   
 背中が熱いのか痛いのか分からない。ただ苦痛であることは確かで、岬はぎり、と歯を食いしばった。
   
  「馬鹿な子!」
 そう言うと、鷹乃は面白くなさそうに舌打ちした。
   
 だが、今の岬には反論することすらできなかった。
 あまりの苦痛に、思わず息をするのを忘れそうになる。
   
  「苦しいでしょう?背中とはいえ、私の攻撃をまともに受けたんですからねえ。でも、私は優しいから、長く苦しませずに終わりにしてあげますよ......」
 限りなく恐ろしく優しい声で鷹乃が告げた。
   
  『まずい......動けない......。このままじゃ、よけきれないよ』
 額に嫌な汗が伝う。
  「か......つや......、逃げて......」
 うめくようにそう口にすると、克也は強くかぶりを振った。
  「や、やだっ!岬ちゃんっ、しっかりして......!いやだよ......っ」
 泣きそうな顔で叫んでいる。
   
  「竜の長、あなたもその娘同様相当馬鹿ですね。まあ、逃げたところで今のあなたなど、簡単に捕まえられる自信がありますけどね」
 すうっと鷹乃の手が上がるのを、なぜか岬にはスローモーションのように見えた。   
  「さようなら、竜の長、そして忌まわしい宝刀の力の持ち主さん」
 鷹乃の唇が弧を描く。
   
 岬は次に繰り出されるであろう攻撃に目をつぶった。精一杯、克也の盾になれるように克也の体にしがみつく。
   
 ―― だが。
   
  『あれ?』
 いつまでたっても覚悟した痛みは襲ってこず、岬は恐る恐る目を開いた。すると、目の前に、きらきらと光る光のベールが降りていた。視線を横にずらすと、沢 涼真が人差し指で『静かに』のジェスチャーをしている。
  「涼真、さん......?」
 呆然と岬は呟いた。
   
 「水皇様の命(めい)により参りました。今は一時的に相手に見られないよう目隠しの結界を張っています。ただ、私の力では長くはもちませんが......」
 そう言って、岬のそばに寄ると、背中へと手をかざす。
 「私の癒しの力もごく弱いものなので、どこまでできるかわかりませんが......」
 だが、その瞬間、岬の背中の熱さと痛みがかなり引いた。まだズキズキとしてはいたが、ずいぶんと楽になり、岬は大きく長い息を吐いた。
  
  「どこだ!?どこへいった!?――ちっ......どこか他に協力者がいるな!?」
 鷹乃の、自分たちを探す声がどこからか聞こえる。
   
 克也は、がたがたと体を震わせていた。
 一部高校生の思念が残っているとはいえ、今の克也の精神は幼い。突然のこの事態に心がついていけてないのかもしれなかった。

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