賭け(7)
あまりの衝撃に、岬の意識は一瞬途切れた。
「ここは、どこ?」
閉じていたらしい瞳をゆるゆると開くと、顔のすぐ横にアスファルトのざらりとした感触の地面があり、自分が倒れていることを知る。
体中が痛い。だが、刺すような痛みではなくて、どこかにぶつけた後のような鈍い痛みだった。起きようとして軋む体に力を入れたその時――、
「い、痛っ......」
背中に、じんと焼けるような強めの痛みを感じて、岬は顔をしかめた。確認しようにも場所が場所だけにどうしようもない。
『あ、あ痛たた......、あたし一体 ―― 、あっ!』
途中でさあっと記憶が正常に戻る。
「か、克也......!」
意識がある限り腕の中に抱きしめていた存在を探す。
「み、......さき、ちゃん......」
岬の声に反応して克也が答えた。声のした方を見れば、腕を伸ばせば届くほど近くに克也が横たわっており、うっすらと目を開けてこちらを見ていた。
「良かっ......」
ホッとして克也の方へ寄ろうと身をよじった岬は、再び襲った背中の激痛のために片手で肩を押さえ、地面にもう片方の手をついた。押さえたのは肩だが、本当に痛いのは背中だ。
『せっかくさっき涼真さんが癒してくれたのに......。鷹乃の術でやられたばかりよりはましではあるけど――、でもこの痛みは――、さっき飛ばされた時に打っちゃったのかも......』
痛みに拳を握り締めて痛みに耐えていると、克也がよろけながらもこちらに這い出してきた。
「岬ちゃん......痛いの?」
大丈夫と言って安心させたかったが、かろうじて引きつった笑みを返せただけで、痛みで声が出せなかった。
「岬、ちゃん......」
辛そうな岬の様子に克也は眉を寄せ、今にも泣きそうな表情になっている。
じわじわとした痛みは続いていたが、やがて感覚が麻痺してきて体が動かせるようになったので、岬はゆっくりと腕を動かして克也の頬に触れる。
触れた克也の頬は、ものすごく熱い。少し指先が触れただけで高熱があることがわかってしまうほど。息も荒い。普通なら起き上がるほどもつらい状況のはずだ。
『こんな痛みに負けてらんないよ。克也だって頑張ってるんだから』
岬は唇をかみ締め、きっ、と空を睨んだ。
「ところで......、ここはホント、どこなんだろう?」
誰に当てるでもなく、岬は呟いた。
辺りは閑静な住宅街なことは変わりは無いが、落ち着いて辺りをうかがってみても他の人の気配が全くしない。自分と克也の荒い息遣いしかしない。人どころか鳥獣の声さえしない。恐ろしいほどの静寂。
「結界?」
克也がぽつりと呟いたが、岬も同じ答えを頭の中に浮かべていた。
こんな不自然な静寂は他に考えられない。
「当たり」
おもむろに、自分とも克也とも違う声がこの静寂に割り込んだ。
はっとして視線を声のほうに向ける。
そこに吉沢鷹乃の姿を見つけ、岬は指先がさらに冷えてくるのを感じた。
「おりこうさんですね。正解です。ここは、私の作り出した結界の中です。そうじゃないと邪魔ばかりが入って仕方がないですからね。ここに入れるのは、私とあなたたち二人だけ。他の人はさぞかし慌ててるでしょうね。――うん、すばらしい、この静かさ。最初からこうしておけばよかった」
鷹乃の唇が嬉しそうに弧を描く。
「部下の不始末は上司がするのは当たり前ですよね?―― 利由は、雁乃が男の人に羽交い絞めにされるのが苦手だと分かっていて、怯えるあの子を拘束する力をさらに力を強めた。――許せません。利由のしたことの尻拭いは蒼嗣克也、あなたにしてもらいます」
鷹乃は冷ややかに告げる。
「そ、んなの、お互い様――でしょ?先輩......が言ってたように――、あなたは、克也の弱点を、利用した、んだから」
痛みに堪え、岬は鷹乃を睨みつけた。
瞬間――、鷹乃の視線が一際鋭くなったかと思うと、息つく間もないほどすぐにその手から岬に向けて光の刃が放たれる。
「みさきちゃんっ!」
動けない岬の前に、克也が飛び出した。
目の前で火花が散り、岬を護るように両手を目の前にかざして鷹乃の攻撃を受け止めた克也の体が、力を完全に受け止めきれずにぐぐっと後ろに押され、岬へとぶつかった。
はあはあと、肩で息をしながら、克也は目の前の鷹乃を見据えていた。
「忌々しい。そんな状態でもこの私の攻撃を止めるとは......。蒼嗣克也、やはりあなたはここで消しておかなければいけませんね」
そう言って、鷹乃は再び光の刃を、今度は克也をめがけて放った。
「危ないっ!」
動こうとした岬を遮るように両手を広げ、克也は目の前に結界を張る。
だが、やはりうまく力がだ出せていないようで、結界は一度大きくひずむと、音を立てて崩れる。一旦勢いを結界が受け止めたおかげで、進路が逸れ、鷹乃の刃は克也の左腕を掠めて地面へと刺さった。
休む間もなく、鷹乃は再び克也を狙う。
克也は結界を張るが、先ほどよりもそれはさらに脆く、克也は弾き飛ばされる。
それでも、克也はふらふらと立ち上がり、岬を背にし、鷹乃の攻撃から護るように立ちはだかる。
「克也、無茶だよ......!もう体は限界なはずなのに、そんな闘い方――!」
岬は切なくなって叫んだ。心が幼児期に戻ってしまった克也は、つい先ほどまで恐怖に震えていたのだ。力だってうまく出せない状態だ。そんな克也が今、こんなにぼろぼろになってまで岬を護ってくれている。
それなのに自分は何もできない。鷹乃と直接対決することはおろか、克也を援護する力さえ使えないのだ。
何度も何度も方向を変えて繰り返される攻撃。
わざと強い攻撃を仕掛けず、こちらがどんどん疲弊するのを愉しんでいるようなやり方だ。
このままでは、常に逃げ回って動いてるこちらが圧倒的に不利で、鷹乃の思うつぼだ。
途中で鷹乃は一旦攻撃の手を止め、岬に向かって言った。
「つまらないですねえ......逃げ回っているだけですか。いくら宝刀の力なぞ持っていても使えないのでは宝の持ち腐れですよね......。ほら、もう一人の宝刀の力の主に力を借りてあなたも少しでも反撃してくださいよ。―― それをしないとなると―― やはり、力を使いこなせるようになったなど、はったりだったんですね」
鷹乃はにやりと口の端をゆがめる。
「あたしの――宝刀の力は、やたらに出していい力じゃないことは、あなただって知ってるんじゃない?」
岬も精一杯反論した。強気でいなければすぐにでも気持ちがくじけてしまいそうだった。
「そんな減らず口が叩けるようでは、まだまだいたぶり方が足りないようですね。――もっとも、あなたはただ逃げ回っているだけで、実際に攻撃を受けているのはその蒼嗣くんですが。彼の方は――もう、かなりきつそうですよ?」
残酷に、鷹乃は笑う。
『このままじゃ、克也は殺される』
不思議なことだが、そのことが今初めて実感として岬の心に迫ってきた。潜在意識の中で、克也のことを無敵のヒーローのように思っていたような気がする。でも、今の克也は、本当に満身創痍だった。
鷹乃の攻撃を受け、克也はその場に崩れるように倒れる。直接のダメージは免れたようだが、そのまま立ち上がろうと四肢に力を入れても、うまく力が入らずにがくがくと揺れて這う姿勢になることすらできない様子だ。
岬は駆け寄り、克也を支える。だが、克也自身の体にほとんど力が入っていないのか、岬も共によろけてしまうほどだった。
『このままじゃ、克也は、本当に死んじゃう......』
そう思った瞬間、岬の体を電気が駆け抜けるような衝撃が走った。
指先が震える。
『いやだ......、そんなの嫌!!』
体中がかあっと熱くなり、体の奥で何かが蠢くような気持ち悪さを感じる。
この感じには覚えがあった。宝刀の力が暴れだす前触れだ。
『ダメ......!このまま力を開放したら、また暴走する!そうしたら、克也も一緒に殺してしまう』
走り出そうとする力を押さえるかのように、岬は自分の胸の前でぎゅっと両拳を合わせ、うつむいた。
けれど、このままでは、克也の命が危ないのは変わらない事実で――。
『あたしが、克也の支えになるって決めたのに、このままじゃ本当にただの足手まといだ』
克也自身、自分だけを護るのでも精一杯なはずなのに、さらに岬への攻撃まで受けてくれているのだ。岬が克也を庇おうとしても、克也はさらに岬の前に立とうとする。
『あたしに、今できることは、何!?』
逃げ回り、肩で息をしながら自問する。
ひとつの方法が頭に浮かんだ。
『あたしには力が無いわけじゃない』
体の奥で解き放たれるのを待っている力が、自分にはある。この力ならば、鷹乃に対抗することができる。
けれどこの力は制御の難しい忌まわしい力。開放して、もしも今自分の考えていることが成功しなかったら、この世界は終わってしまい、愛しい者の命も消してしまう。
けれど、このまま何もしなくても、確実に克也は『死』に近づいているのだ。だからこそ、それをなんとかしたくて自分はこうして久遠の屋敷から出てきたはずではなかったか。
『暴走と隣り合わせの宝刀の力を開放することは怖いけど......。もう、四の五の言ってる場合じゃない』
ここには敵である鷹乃と、克也と自分の三人しかいないのだ。
『克也を救うためには、あたしがなんとかするしかないんだ』
岬は気合を入れなおす。
足が震えるのは、あまりにも恐ろしいことをしようとしている自分への恐怖のせいなのか。
柚沙の言葉が脳裏に浮かぶ。
頭の片隅には残ってはいたが、色々あったせいでしばらくは思い出そうとしていなかった。
―― あなたを動かしたものはまさに愛する者を思う気持ちと、諦めない心。その二つが、暴れ馬のごとく走り出したら止まらない宝刀の力の暴走を止めるほどの新たな力を生み出した ――
そのことが本当なら、それを信じてみたい―― 否、この状況ではそれを信じるしかない。
「柚沙さん......」
岬は決意をもってその名を口にした。心で思うだけじゃなく、あえて声にする。
『あの時』交わした約束がある。
お互いの目的を達するため、どうやって協力しあうのか――自分たちは『あの時』決めたのだ。
「柚沙さんっ!あたしに、あなたの力を貸してっ!」
岬は叫んだ。
―― やっと、呼んでくれた。
自分の中の『柚沙』の嬉しそうな声が聞こえた。