賭け(8)

 岬は鷹乃を目の端に捉えながら、自分の中の宝刀の力ときちんと向き合うために心の中を探る。先ほど克也の死が迫っていることを実感した瞬間に片鱗を見せた力は、すぐに捕らえることができた。
 その蠢く力の底知れなさに、岬自身恐怖を感じる。
 だが、今は負けるわけにはいかなかった。宝刀の力の渦に巻き込まれてしまったら、そこで何もかも終わりになってしまう。
   
 以前幸一たちに打たれた薬で意識が朦朧とする中、岬は自分の中で宝刀の力と共に眠っていた柚沙と出会い、ある『思い』を共有した。
 それは、愛しい人を助けたいという、思い ――。
   
 岬は目の前の克也を抱きしめた。その温かさが勇気をくれる。

 ふわりと、体が緩やかな風に包まれるような感覚。
   
  『行きます』
 岬の頭の中で柚沙の声がした。彼女の心を映したかのような凛としたその声と共に、柚沙の僅かな力の波動を感じる。それとシンクロするように自分の思いを重ねてゆく。
   
  『克也を守るだけの力をどうかこの手に―― 』
 岬は一瞬ぎゅっと瞳を閉じる。
   
  「......っ!」
 自分の中の力を求める気持ちに応えるように、体の内側から力が吹き出すのが分かる。
 その勢いに思わず引きずられて飛びそうになる意識を、岬は拳を握り締めて呼び戻しながら耐えた。
 自分と柚沙の気持ちが『限界』を感じた時、戸惑う岬より一歩早く、ブレーキをかけるように柚沙が気を発動するのが分かった。それを頼りに、岬は『真似』をする。これが二人の闘い方だ。柚沙がきっかけを与え、足りない分を岬が補う。
   
 柚沙があの時語ったことによると、強大にして不安定な宝刀の力は暴走しやすく、また宿り主がなければその威力を保てない特殊な力だという。宝刀の力はその強大さゆえ、人がその身に力を宿せばほとんどの者はたちまち力に飲み込まれて消滅してしまう。
 だからその力は、代々奈津河一族に連なる『刀守』の血筋の者によって特殊な作られ方をした上で複数の守人たちが力をこめた、特別な刀に納められてきたのだという。
 だが、強大で不安定な宝刀の力を長いこと納めていられる刀は当然無く、納められてからある程度経つとその力に耐え切れず刀が壊れてしまうため、壊れる前にと定期的に何度も刀を作り、力を移してその力を受け継いできたのだという。宝刀の力を護る家系が『刀守』と呼ばれるのは、それゆえなのだと。
 その身に宝刀の力を宿して無事だった者は柚沙より前には一人もおらず、刀に納められた宝刀の力でさえ、扱えた守人はほとんどいないらしい。
 柚沙はもともと、宝刀の力を宿した刀を扱えるほど守人としての力が強かったが、ある時宝刀の力が体の中に吸い込まれても奇跡的に無事だったことで、一族の者からさらに羨望と奇異の目で見られ、崇拝という名のもとに幽閉されたのだという。だが封印に失敗した時に守人としての力の大半を失った。それゆえに今は宝刀の力を制御できるだけの力が無いという。一方岬は、気づいていないだけで守人としての素質は驚くほど高いらしい。だが幼い頃よりその力の使い方を学ぶ環境にあった柚沙と違い、岬は宝刀の力はもちろんのこと、守人の力の使い方にすら慣れていないせいで、本来の力を発揮できていないのだという。しかも、現在のところ岬が宝刀の力の制御に自分の意思で成功したのは克也がピンチに瀕したあの時だけなのだ。
 それゆえにこの闘い方は、賭けではあったが、たったひとつの望みでもあった。
   
  『どうか、これ以上は強まらないで――!!』
 精一杯自分の気を、自分の中の容量を超えて溢れ出す宝刀の力にぶつける。
 勢いを増す『出よう』とする宝刀の力と『抑えよう』とする岬の力がぶつかり合う。今使っているのがどんな種類の力なのかは岬には全く分からない。ただ、湧き上がる力の勢いを抑える方向に力を働かせているだけだ。だが、出ようとする力の方が強く、抑える力が圧されそうになる。
  『止められない......!嫌!どうしよう、っ!』
 焦れば焦るほど、ブレーキの利きが悪くなっていくようで、磨り減ったブレーキゴムを掠る車輪が空回りするように岬の意識が少しずつどこかへ持っていかれそうになる。
   
  『岬!岬!落ち着いて、あなたは彼を救うの!彼のことを、諦めないで!』
 柚沙の声に、岬ははっと意識を戻した。
  『そうだ、あたしが諦めたら克也は――!』
 岬はぼうっとしていた頭をぶんっ一振りし、
  「っ、ああっ!」
 気合を入れるように叫んだ。
   
 そして――。
  『今よ!』
 宝刀の力が完全に威力を失わないで、かつ暴走を免れるであろうぎりぎりのところで柚沙が叫んだ。岬は確かにその声を聞き――、   
      
  「ごめんなさいっ......!」
 とっさに岬の口をついて出てきたのは謝罪の言葉だった。
   
 この力の放出は、狙った者の『死を超えた消滅』を意味する。それが分かっていて、自分は力を使う―― 克也のために。克也と自分の未来のために。ある意味ただの身勝手だ。けれど、自分にとってそれは何より大切なものを護るための、闘う理由だ。たとえそれが誰かの不幸を呼ぶとしても、それは譲れない。それが傲慢だとは分かっていても、それでも。
   
 岬は鷹乃に向かって叫ぶと同時に、溢れる力を鷹乃目掛けて一気に放出した。
   
 さあっ、という音がしたような気がする。
 岬は思わず目を細めた。
 その瞬間、鷹乃に誰かが重なった気がする。だがすぐに――、
   

 空白が―― 辺りを支配した。
   
 無の世界。
 恐ろしいまでの静寂―― いや、そんな生易しいものではない。宝刀の力がもたらすのは―― いうなれば、それは『何も無い』、『空白』。
   
   
 果てしなく続くと思われた静寂を、破ったのは、呆然と呟く鷹乃の言葉だった。
  「雁......乃?」
 鷹乃が何もない空に向かって雁乃へと呼びかける。
   
  「え......っ?」
 岬は心臓が止まるかと思うほど驚いたた。
 自分は確かに宝刀の力を鷹乃に向かって放出した。だが、今聞こえた声は確かに鷹乃のものだ。目を凝らしてみても、確かに鷹乃はそこに存在していた。
  『宝刀の力が、効かなかった!?』
 岬は愕然とその光景を見つめた。
   
  「雁乃!雁乃!雁乃っ!!」
 鷹乃は再び呼んだ。呼んだというか、叫んだというほうが正しい。酷く狼狽した様子で、きょろきょろと辺りを見回す。
   
  「雁乃!返事をして!雁乃!!――、 ......そんな......まさか......」
 鷹乃はその場にへたり込む。
   
  「雁乃が、いない――」
  「え?」
 聞き返す岬の言葉を全く無視して鷹乃は続ける。
   
  「雁乃の気配がこの世のどこにも無い!どこにいても、私だけは、あの子の気配を感じ取れた。それなのに今は―― 全く無い!」
 鷹乃の指先が震えているのが、岬にも分かった。それほど彼女の動揺は明らかだった。
   
  『まさか』
 岬の頭も、ある可能性にたどり着いていた。
 鷹乃の言葉、そして今の状況、全てを考え合わせて導き出される答えは――。
   
  「もしかして、吉沢さんがあなたを庇って宝刀の力の的に――? でも、どうして?この結界の中には、あたしたち三人しか入れないはずだし、宝刀の力は対象を外さないはず......」
 岬の問いに、鷹乃は俯いた。
   
  「あの子と私はシンクロしてた......。繋がりは『あの時』に切れたとばかり思っていたけど――、どこかでまだ繋がっていたのかもしれない......」
 
 その対象を外すことのない宝刀の力。だが、鷹乃はこの世にとどまり、代わりに雁乃がこの世から消滅したという。
   
  『シンクロ』
 というものが実際にどういうものなのか、岬には分からないが、『同じもの』と認識できるほどの同調をしていたとしたら――、鷹乃の代わりに、雁乃がなることは、可能なのかもしれない。
   
  「消えた。雁乃......あの子が消えた!あんたの!栃野、岬!!あんたのせいで!!」
 鷹乃の叫びが、岬の心に刺さる。
 岬は言う言葉が見つけられなかった。
   
  「あの子がいなくなった――、私は何を励みに、生きていけばいいのぉっ!」
 鷹乃の頬には、涙が光っていた。
       
  「―― 栃野岬ぃぃ!―― 許さ、ないっ!」
 鷹乃の瞳が岬を映し、その瞳がぎらりと光った。
   
 刹那。
   
 ズキンと岬の頭が痛んだと思うと、ぎゅうっと頭の中を強い力で圧迫されるような感覚に襲われる。
  「あ、ああっ!!」
 あまりの痛さに岬は悲鳴を上げずにはいられなかった。
 頭を押さえるが、その腕さえも痺れて体中に力が入らなくなってくる。  
  「かつ......」
 名を呼び、顔面蒼白になっている克也に触れようとした岬の指は、再び襲ってきた激痛に遮られた。その場にしゃがみこみ、うずくまっても、苦痛から解放されるわけでもない。
   
  『もう......ダメ......』
 息の仕方さえ忘れそうになり、目の前がぐらりと揺れた。    
   
 その時、今まで声も出せずにいた克也の掠れた声が聞こえた。
  「......い、や、だ......。ど......してぼくは......」
 ふるふると克也は首を振っている。
  「い、やだああああ!岬ちゃん!岬ちゃん!死んじゃやだっ!」
 取り乱して岬にすがりつく克也の顔を見て、一瞬、岬は微笑んだかもしれない。
   
   『ごめん、ね』
 必死に唇を動かしたつもりだが、うまく言葉にはできてない気がする。
   
  「岬―― ちゃ―― ......!」
 全ての感覚が麻痺して喪われてゆくようで――、叫ぶ克也の声が遠ざかる。
   
 意識を手離す直前、岬は聞いた気がした。
   
  ―― 岬っ!―― と、力強く自分を呼ぶ声を。

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