特別な部屋(2)

 奥の部屋―― 長の寝室は、長の部屋のさらに奥に位置し、長の妻ほど近しい人物でなければ入れない特別な場所。寝室の清掃のためでさえ、お手伝いの中でも一番立場の高い者しかこの部屋に入ることが許されず、今はお世話係の中で一番年長者である静流のみが長の部屋の清掃をしているという。
 そんな部屋に足を踏み入れることに、岬は全身の筋肉が緊張にこわばるのを感じた。
 襖を開けると、目の前には布団が並んで二つ敷かれていた。
   
 微妙な雰囲気に二人はしばし沈黙し――、やがて顔を見合わせた。
   
  「――克也。いつも布団二つ敷いて寝てるの?」
 岬が素直な疑問を口にすると、克也は手で額を押さえて大きくため息をつく。
  「んなわけないだろ、一人なのに。―― 静流さん......気を利かせすぎ......」
   
 静流は、ここに岬が来ることをちゃんと予想して、二人分の布団を敷いてくれたらしい。
 普通、年頃の女子と男子が一緒の部屋に寝るといえば、あのくらいの年の人たちは反対するのが普通だろうと岬には思えるのだけれど、そうではないらしい。水皇にしても静流にしても、その態度からは岬たちがそうなることを既に認めているという気がする。
   
  「さすがは、利由先輩のお母様というか......」
 岬はしみじみと呟いたが、そう言いながらもふと水皇の言葉を思い出す。
   
   
  ―― お前はもう自分で自分の行動にきちんと責任が取れるほどには育っていると、俺は信じているから ――
    
   
  「ていうか......二人とも、よほど克也のこと信用してるんだろうね」
 岬の言葉に、克也は額に当てていた手を離した。
  「信用?」
  「うん。克也なら、なんていうか......何も考えずに感情だけで突っ走って―― 後で困るようなことはしないはず―― みたいな?」
 岬は笑って肩をすくめる。
   
 克也が次の句を継ぐまで、少しの間が空いた。
   
  「どうだろうな......。俺もただの高校生男子だし。そんなに信用していいのかね、あの人たちも」
 そう言って克也はふうっと息を吐き、腕を組んでそばにあった壁に無造作に寄りかかる。その表情が少し曇ったのが、岬には少し気になった。
   
  『長として、そして人間として――、信用されてるってことはいい事なんだろうけど......』
 ふとその表情を見ながら岬は思う。
  『克也は、そんな周囲の期待にずっと応えようとして生きてきたんだろうな......』
   
 そんな岬の考えを裏打ちするように克也が口を開く。
  「ま、結局そのとおりの行動をしてしまうってところが、ね......。―― 悔しいけど」
 その言葉には、どこか自嘲的な響きを持っていた。
   
 岬は、俯く克也をしばし見つめる。
   
 幼い頃は双子の兄の影武者として生きることを実の父親に望まれ、そしてその兄が亡くなってからは急に長としての人生を周囲から望まれて。
 以前、克也はこう言っていた。
   
  ―― 俺は長にふさわしくない、こんな力欲しくなかった、なぜ長にふさわしい智也ではなく自分の方が強い力を持って生まれてしまったのかと、何度も思った ――
   
 それなのに今、克也は長として重責に一人で耐えている。その心のうちを思うと、いたたまれない気持ちになる。
   
 今日初めてこの部屋に足を踏み入れ、岬にも分かったことがある。
 この屋敷からしてそうなのだが、さらにこの『長の部屋』はその立派さゆえ、いるだけで重圧を感じる何かがあるような気がする。自分の部屋でさえそんな状態で――、この家で克也が心の底から心休まる場所はあるんだろうかと心配になる。
   
 寝室の入り口横の壁にもたれて何かを考えるように床の一点を見つめる克也に、岬はそっと寄り添う。
  
  「無理、しないでね。......って言っても、一族の長としては無理しなきゃいけないこともいっぱいあるんだろうけど......。ただこの前、克也は『俺の前では無理するな』ってあたしに言ったよね。それなら克也もあたしの前では―― 心が辛くなるほどの無理はしないで。カッコ悪くても何でも、克也は克也だから。あたしは何もできないけど――、ずっとそばにいるからね」
   
 そんな岬の言葉を真顔で聞いていた克也は、ふっと笑みをこぼすと岬の肩をそっと抱き寄せた。
   
      
   ******   ******
   
   
 午前零時少し前。
 ぎりぎりまで起きて話をしていたのだが、さすがに寝ようという話になり、布団に入ったはいいが、そのまましばし沈黙が流れていた。
   
 沈黙に耐えられずに、岬はなんとか話題を探す。
  「えーと......、一緒に寝るなんて、あの時以来だね」
 並んだ布団にそれぞれ横になりながら、岬は天井を見つめて口を開いた。

  「あの時?」
 仰向けの体勢のまま、克也は顔だけ岬の方へと向ける。
   
  「克也が、あたしの家に泊まった日」
  「あー......うん。――そうだよな.....。でも、あの日は気がついたら寝てたし、起きたら岬はもう起きてたから......俺にとっては一緒に寝たって気はしないな......」
  「あ、そっか。確かに」
 岬はくすりと笑う。
 あの時は、克也をソファで寝かせ、自分はその横――というか、ソファの下に布団を引っ張ってきて寝たのだ。
  
 大して前の話ではないのに、もうずいぶん時間が経ったような気がする。あれからいろんなことがあり......。今こうして同じ部屋で克也と並んで横になっているなんて、あの時には想像もしなかった。
   
  『特に、中條幸一に連れ去られた時のことを思えば、ほんとに今のこの状況がすごく奇跡のような気がする』
 天井の木目を見つめながら、また岬はしばし押し黙る。
 岬はその時のことを思い出していた。
  『忘れようと思っているけど、まだこんなに鮮明に覚えてる......』
 どうしてもよみがえる恐怖に手の感覚がなくなってくる気がして、岬は天井へと伸ばした腕を布団の中に引っ込める。
 そうしながら、岬はぼんやりと柚沙のことを思った。
   
  『あの時、柚沙さんとは初めて会えたんだよね』
   
 自分の中に違う存在がいるなんて本当は未だにどこか信じられない気がするけれど、あの時のことが単なる夢でも幻覚でもなく、確かに存在する現実なのだということは、今回、克也に対する鷹乃からの攻撃に対抗するため、宝刀の力を走らせた時に実感した。
 結果として柚沙と岬でお互いを補い合い宝刀の力を制御することには成功したが、柚沙と決めた方法が効果があるという保証は全くない状態での力の行使は本当に危険な賭けであったことは間違いない。そして、柚沙が今後の自分に求めるものにも、成功するという保証はどこにもないのだ。
   
 岬は体ごと克也の方へとごろりと向きを変える。   
  「克也、あたし......克也に話さなきゃいけないこと、あるんだ」
 少し改まった岬の言い方に、克也が一瞬息を止めたのがわかる。
   
  「悪いことじゃないよ。――悪いことじゃない、と思うけど...... 楽しい話じゃないんだよね」
 岬は薄く笑い、克也を見つめた。

 克也は微妙な表情で半身を起こした。それを確認し、岬も半身を起こす。
   
  「この前―― 幸一に薬を打たれたせいで意識が飛んじゃってた時、あたしは夢の中である人に会ったの。―― ううん、夢の中っていうか、多分自分の深層意識の中だったんだろうね......」
  「誰に?」
  「柚沙さん。宝刀の力を封印した――、封印しようとして失敗しちゃった人」
  「......」
  「柚沙さんは宝刀の力の封印に失敗した時、宝刀の力から離れられない状態になっちゃって宝刀の力と共に宿り先を求めて彷徨うことになったんだって。だから今、宝刀の力と共にあたしの中にいる――みたい」
   
 岬の言葉に克也は何かを考えるように眉を寄せ―、岬を見つめる。
   
 岬は急き立てられるように次の句を継ぐ。
  「克也も知ってる通り、宝刀の力はとても不安定なもので――、すぐに暴走してしまう危険な力なんだよね......。そして、驚異的な消滅と再生を司るこの力は、人の心を惑わせ、皆の不幸を呼ぶ。この力がある限り、あたしは狙われ続けるし、護ってくれる克也をも危険にさらしてしまう。―― だから、柚沙さんはあたしに言ったの。協力して欲しいって」
   
  「協力? ―― どんな?」
 克也は一瞬動きを止めた後、くしゃりと乱暴に自分の髪を搔きあげる。岬の様子から、その協力があまり歓迎できないことだと感じているようだった。
   
 意を決し、岬は再び起き上がり、克也の傍らに正座した。
   
  「柚沙さんは今――、以前失敗してしまった宝刀の力の封印を、再び完成させようとしてる。そのために、あたしの力が、必要なんだって」

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