特別な部屋(3)

  「宝刀の力の封印の、―― 完成?」
 眉をひそめ、明らかに不機嫌そうに克也は問い返した。
  「うん。」
 岬は頷く。
   
  「封印は―― 守人一人の命、そしてその者の来世への望みを断ち切る覚悟が必要なんだろ?それが不完全だったからこそ封印は失敗した。その失敗した張本人にもう一度封印ができる力があるとは俺には思えない」
 目の前の克也の双眸が、薄暗い室内にひとつ点った常夜灯のほのかな光を受けて鋭く光る。その瞳を真っ直ぐに見返して岬は微笑んだ。
  「―― 柚沙さんだけではね」
  「岬?お前......」
 気色ばむ克也に、岬は慌てた。
  「あっ......、違うよ!あたしが犠牲になろうとしてるわけじゃないよ!柚沙さんは......今度こそ自分が転生の輪から外れる決意は固いんだって言ってた。自分はもうほとんど死んだような状態だから、自分が全て背負って宝刀の力を封印するって......。でもそのためには、精神体になってしまったために力が足りなくて、だからあたしの力を貸して欲しいって......」
      
  「宝刀の力の封印に失敗しても精神が生きてるって時点で、そいつが生前に持っていた力は相当強かったんだろうということは想像がつく。だけど!以前はそいつが宝刀の力の主だったとしても、精神がまだ残されているとしても......、今現在宝刀の力をその身に宿しているのは岬だ!そのお前だって引きずられて犠牲にならないという保証がどこにある!?その結果、結局は犠牲になりました、じゃ済まされない!」
 あまりにも触れば切れそうな気配を纏う克也に、岬は息を呑んだ。
  「俺はそんな方法は認めない!そんなものの言いなりになる必要なんてない!お前のことは俺が守る!命に代えても......」
   
 その言葉に、岬は一瞬にして血の気が引くのを感じた。
  「克也がそうやって護ってくれるのが分かってるから......だからあたしは嫌なの!」
 岬は、伸ばされた克也の手を振り払った。
  「......岬?」
 さすがに驚いた様子の克也が、恐る恐るといった様子で名を呼んだ。
   
  「あたしね。今回よーく分かった。相手の出方を待って、それを防御するだけじゃダメなの!今回だって宝刀の力を使うまでは、克也が目の前で鷹乃に攻撃されてるのに、あたし何もできなくて。見てるだけしかできなくて......。一瞬、克也が死んじゃうかと思って本当に怖かった......。これからだって......もしも闘いの中で本当に克也が......、って考えたらあたし、いてもたってもいられない!」
 岬は手元にあった布団の端を握り締めた。
   
  「―― 今回は術にかかっていたせいでうまく力が出せなかっただけだ。ちゃんと力が出せていれば簡単にやられたりはしない」
 低く呟く克也を前に、岬はかぶりを振った。
   
  「そんなの、分からないじゃない!あたしが犠牲にならない保証もないけど、克也が殺されない保証だってないよ。あたしだって、今の状態のままで穏やかな時をずっと過ごしていけるなら、何の行動も起こさない。でも今のままでは―― あたしの中に宝刀の力がある限り、絶対にそんな日は来ない。常に狙われて、そんな人たちからあたしを護るために克也がどんどん手を汚さなきゃいけなくなって、その度に克也がどんどん人に恨まれる対象になっていくのが......、もう嫌なの」
  「岬、そんなの――」
 『そんなの構わない』と克也が言おうとしたのが分かったが、岬はその言葉をわざと遮った。
  「『そんなの』―― 何? もし逆の立場でもそう言われて納得できる?だってあたし―― 克也が目の前で殺されそうになっていたら、あたし絶対に克也を助ける。助けるために、宝刀の力を使うよ。あたしは―― 克也を護るためなら人を―― 殺せる」
 心のどこかで警鐘が鳴る。自分は人としての道をどこか踏み外しそうになっているのかもしれない。けれどその反面、心のどこかが妙にはっきりとクリアになるのを感じた。自分の目的がはっきりと見える。
   
  「岬、お前だけは......そんな言葉を、使うな......」
 克也は苦しそうに、振り絞るような声で言った。
   
  「分かってるよ。あたしだってすすんで人を殺したいわけじゃない。そんなこと、できるなら避けたいよ。だから――、簡単に人を殺せる宝刀の力なんて、ない方が絶対にいい......。だからあたしは、宝刀の力をなくしたいの」
 岬は克也の瞳を真っ直ぐに見返した。
  「今までは、宝刀の力の封印には自分を犠牲にするしか方法がないと思っていたからできなかった。だってあたしの目的は克也と未来を歩いていくことだもの。自分が進んで犠牲になったらそれが果たせない。でも柚沙さんから、自分を犠牲にしなくてもいいかもしれない方法があると言われて、心が動いた......。宝刀の力さえなければ、あたしは中條幸一みたいな人に拉致されることもなかったんだから。――といってもね、柚沙さんには分かったと言いながらも、迷いはあったの。だって、克也の言うように、成功するとは限らないと思ったから。迷ってるうちに引越しとか鷹乃のこととかいろいろあって、克也にも言えずにいたの。―― でも、今回のことで分かったよ。闘わなきゃいけない時や進まなきゃいけない時っていうのがあるんだって。恐怖に怯えてるだけじゃなくて、自分の未来は自分で掴み取らなきゃいけないって。一緒に生きるために、克也と一緒に生きてゆくためにあたしはそれに賭けたい」
   
 岬は、克也の手に自分の手のひらを重ねる。
 はっきりと言い切ったが、言い切った途端に急に不安が押し寄せてくる。
 克也がずっと黙ったままなのが余計にその感情を膨らませる。
   
 しばらく、沈黙が流れた。
      
 気まずさが限界に達しようという時、克也が深く息を吐き、一気に力が抜けたように突っ伏した。
  「俺も分かってはいるんだ...... 受身でいるばかりじゃ状況は変わらないんだって。ただ、岬を犠牲にするより他に方法がないなら、変わらないことは仕方がないって思ってた。俺が守ればそれでいいことだと......。でも、俺だって万能じゃないんだよな。何があっても守りきる覚悟はあっても、それは百パーセントじゃない。それなら――、少しでも変わる可能性がある方に賭けた方がいいんだろうな......。もしもその方法がうまくいって―― 宝刀の力が封印されてなくなるのなら、岬が『宝刀の力の主』として狙われることはなくなるんだから......」
 枕に顔をうずめながら独り言のように呟く克也の声。もともと声が大きい方ではないが、どこか迷いを残しているのか、さらに弱弱しく感じる。
 それだけ軽々しく決められない、重い決断だ。
   
 岬も、我ながらめちゃくちゃなことを言っていると思う。
   
 今のまま宝刀の力を狙われて自分のために克也が命を落とす確率と、宝刀の力の封印に失敗して命を落とす確率と―― どちらが高いのか......。
 成功の確率は全く分からない。
 けれど、それがゼロでないのなら僅かな確率でもすがりたい。
 克也との穏やかな未来―― それが危険を冒してしか得られるものでないのなら、そうするしかないと思う気持ちを止められない。
   
 岬は重ねた手に力を入れて克也の指を握る。克也は、突っ伏したままの体勢で顔を岬の方へと向けた。
  「分かったよ......。お前のために、封印のための計画に協力するよ」
  「ありがとう、ありがとう、克也っ」
 岬は何度も頭を下げる。
  「ただし、俺にとって一番最優先事項は岬の命だ。少しでも無理だと思ったら、俺は全力で計画を阻止する。それでもいいなら」
 克也は岬の瞳に微笑んだ。
  「いいよ、それでも」
 岬は悪戯っぽく笑って肩をすくめる。
     
 だが、しばしの後、克也は心配そうな瞳を岬へと向ける。
  「岬――。お前はそれで本当にいいのか?......怖く、ないか?」
 気遣う克也の声に岬は目を瞠る。
  「――怖くないわけ、ないでしょ。でもあたしが一番怖いことは、克也を喪うことだから......」
 岬は微笑んだ。
 そんな岬に目を細め――、克也は岬の頬に触れる。
 そのまま、自然な形で引き寄せられて、唇が重なる。
   
 克也のぬくもりを唇から感じ、岬は切ないほどの幸せを感じていた。そして改めてこのぬくもりを喪いたくないと強く思う。
 その口付けはいつもと違って深くはならなかった。だが、克也は壊れ物を扱うようにそっと長く口付け――、優しく抱き寄せた。
  「今日はこのままで......いさせて......。これ以上は、しないから」
 囁くような願いに、岬は頷いた。
 そのままそっと、克也の布団に滑り込むと、克也は一度、岬を抱きしめていた腕を解いて横になった。
   
 『わ......。ど、どうしようっ。か、克也と同じ布団にっ』
 頭の中は既にパニック状態で、頬へと一気に熱が集まってくる。
 そんな岬に気づいているかいないのか――、克也は正面から岬の頭を抱き寄せ直した。
   
 腕に、脚に、髪に、克也のぬくもりを感じる。
 唇だけで感じるよりもより強く。
   
 伝える言葉は出てこなかった。それは克也も同じだったのかもしれない。ただ黙って岬をそっと大切に包み込む。物言わぬ唇の代わりに、互いの鼓動が呼応するように時を刻む。
   
   『何だか......この状況で...ね、寝られるのかな、あたし』
 逆に目が冴えてきそうだった。
 でも――、
 そんな心配すらも問題ないというように、克也の温かさが岬の体全体を心地の良い眠気が包む。
  『あったかい......。これが、生きてるってことだよね。でも、なんだか頭の芯がボーっとしてきた。あたし...思ってるより、疲れてるかも......』
   
 克也の腕の中はとても暖かくて居心地が良くて......。
 やがて、岬はゆるりと眠りに入っていった。

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