恭順の家(4)

 久遠家の食を掌っている厨房は母屋の一番西側にあるが、その手前にある洋室が、テーブルのあるダイニングルームである。食事の内容によって、洋風な時にはそこで、また、和風な内容の場合には南側の広い座敷で食事をするのだという。
 今日は夕食の内容が洋風なため洋室で、現在この家に『住む』者全員がようやく一堂に会した。
 久遠水皇、そしてその側近である沢涼真(さわ りょうま)、そして克也、その側近的存在の岩永基樹。加えて、利衛子に岬の六人だ。克也以外の男性陣は皆、年齢がかなり上であり、そのせいかずいぶんと落ち着いた雰囲気をかもし出していた。
   
  「あ、水皇さん、これってキャビアですか?」
 今しがた運ばれた皿の上にある白身魚の上に乗っている、濃い緑色のプチプチしたものを指差しながら、利衛子がこの家の現在の持ち主である、久遠水皇を見つめる。
  「そうだよ。といっても、そんなに驚くようなものじゃないんだよ。魚の卵―― 言ってみればイクラと同じようなものなんだから」
 水皇が笑いながら答える。
  「イクラと一緒にされたらキャビアが泣きますよ。きちんとゆっくり味わって食べなきゃ」
 そう言いながら利衛子は、ほーう、と大げさにため息をつく。
   
  「利衛さんでもそう思うんですか?」
  「あったりまえよ、岬ちゃん。あたし一般人なんだから、こんな食材普段はめったにお目にかかれないんだよー」
 さらっと言葉を返す利衛子に、岬はホッとした。
  「よかった......。利衛さんもあたしのお仲間だったんですね」
  「お仲間?」
 きょとんと聞き返す利衛子。
  「一般人仲間です」
 岬の答えに、利衛子は「なるほどー」と頷いた。
   
  「なんだそりゃ、一般人って」  
 岬と利衛子の会話に、水皇が入ってきた。
   
  「こんな豪勢な生活をしてない普通の人ってことですよ。水皇さんは絶対にお仲間じゃないですからねー」
 利衛子が笑う。
  「そんなことないない、仲間はずれにしないでくれないか」
 水皇の寂しそうな表情に、利衛子は「いれてあげませーん」とおどけた。
   
  「というか、いつも水皇さんたちってこんな豪勢な食事してるんですか?」
 物怖じしない利衛子がキャビア付きの白身魚を口に含み、ゆっくりと噛んで飲み込んでから尋ねる。
   
 すると、水皇は「まさか」と笑った。
  「今日は二人の歓迎もかねているからね、少し豪華にしてもらったんだ。いつもはもう少し落ち着いてるよ」
   
  「もう少しなんだ......ということはそれなりに豪勢ってことですよね」
 岬がつい本心をぼそりと呟くと、「だよねー」と利衛子は同意し、「そんなことはないはずだけど」と水皇は眉を寄せて首をひねる。
   
 先ほどからしゃべっているのは水皇と女子二人だけだ。   
   
  「それにしても。―― いいね。実にいい」
 水皇は、岬と利衛子をにこやかに眺めながらグラスを傾け、上機嫌で頷いた。
      
  「今までは見事に男ばっかりの食卓だったからな。食事時もお通夜みたいに静まり返ってるか、仕事なんかのお堅い話ばっかりでて、つまらないんだよ。その点今日からは女子がいるって見た目的にも雰囲気的にも華やかでいいよな」
 水皇は繰り返し頷きながらそう口にする。
  「水皇様、その発言は非常にオジサン的かと......」
 水皇の右隣に座った側近の沢涼真が、少し下がった眼鏡の位置を指で直しながら苦笑する。
  「水皇さん、確かにその言い方は相当おじさんぽいです!」
 利衛子も同意する。
   
  「ん?おじさん結構。本当にオヤジだからな!」
 はははと豪快に笑う水皇に涼真はため息をつきつつ笑い、岬と利衛子も思わず顔を見合わせて笑いあった。
 ふと克也を見ると、言葉はないものの、ふわりと微笑んでいて、岬もホッとした。
 だが、克也の横に座る岩永基樹だけが苦虫を噛み潰したような顔をしている。
   
  『岩永さん、だっけ?あたし、この人とどこかで会ったことがある気がするんだけどな』
 岬は首をひねった。
 この顔には見覚えがあった。それもそんな昔じゃない。
 岩永の顔を見つめながら、記憶を辿る。
 しばらくすると、ある映像がぱっと頭に浮かんできた。
   
 忘れもしない、去年の文化祭の日。
 圭美への後ろめたさから、逃げるようにして来た昇降口で会った初老の男――。
   
  「あっ!あの時のおじさん!!」
 思わず思考が声になってしまい、岬ははっとして口を押さえたが、発してしまった言葉は当然戻すことができない。
   
  「んー?岬さん、どうした?」
 水皇がきょとんとして聞く。
   
  「あ......、す、すみません......。あの、岩永さんのお顔、どこかで見たことがあるとずっと思ってたんですけどなかなか思い出せなくて。でも、今思い出したんです」
 岬の言葉に、全員が注目していて、少々ひいてしまうが、ここまで来たらしゃべるしかない。
  「去年の文化祭の時に、会ってますよね?あたし、ぶつかっちゃって......」
 岬の問いに、岩永基樹は顔を上げた。その表情は冷ややかで、その時の穏やかな印象とはまるで違う。だが、はっきりと思い出せる。間違いじゃないと分かるのだ。
   
  「基樹、それ、実は偶然じゃないだろう?」
 水皇がにやりと笑うと、一瞬の間の後、岩永基樹はため息をついた。
  「あの日は少々、学校に用事がありまして。でも、栃野さんに会ったのは本当に偶然ですよ。」
 ちらりと岬の方を向いただけで、また視線を逸らす。
   
  『この人、あたしのこと、あまり好きじゃないんだろうな......』
 直感的に岬は思った。何がどうという訳ではないが、相手が自分をどう思っているかなどは案外伝わってきてしまうものだ。もちろん、泉のように敵意を感じるというわけではない。ただ、わざと一線を引かれているようで、本当の意味で自分を受け入れていないのだと感じる。
   
  「基樹......」
 岬に対する冷ややかな態度が気になったのか、とがめるような響きを伴って言葉を紡ぎかけた克也を、水皇が片手を『待て』のポーズにして制した。
   
  「基樹はね、真面目すぎるんだよ。それにね、心配性なんだ」
 水皇は岬に笑いかける。
  「基樹は長年、長のそばで親代わりと言っても過言じゃないほどの関わりをしてきているんだ。だから、長のことが心配でたまらないんだ。かわいい息子が離れていってしまう寂しさを感じているんだと思うよ」
  「そんなことではございませんよ」
 冷ややかに言い放つ基樹。
   
  「まあまあ、これはあくまで物の例えだよ。基樹は相変わらずだね。だが、その仏頂面の理由は、俺が言ったこととさして変わらないんじゃないかな? ―― 長のことが、心配なんだろう?」
 含みのある水皇の微笑みに、基樹は視線を逸らした。
  「だから違うと申し上げているはずです」
   
 表情を変えない基樹に、さすがの水皇もお手上げというように肩をすくめた。
 そして、気まずくなった雰囲気を何とかしたいとでも言うように、話題を無理やり逸らす。
   
  「そうそう、岬さん。この一族は同じ苗字がたくさんいるから、下の名前で呼ぶといいよ、俺――、失礼、僕のことは『水皇』、沢のことは『涼真』、そして『あの時のおじさん』は『基樹』」
 おどけた口調の水皇は心底面白がっているようだ。
  「えええっ!そんな!それじゃ、申し訳ないです!!」
 慌てる岬を尻目に水皇は基樹の方を向く。
  「いいんだよ。なあ基樹?」
  「......ええ」
 微妙な空白はあったが、とりあえず了承はしたらしい。
   
 それじゃあ、と岬は思う。   
  『一緒に暮らすんだし......少しは気持ちが近寄れるよう努力はしなきゃだよね......』
 くじけそうになる気持ちを奮い立たせた。
  「じゃあ......、そうさせてもらいます」
 少々引きつってはいたが、岬は頑張ってにこりと笑う。
  「水皇さん、涼真さん、基樹さん、どうぞよろしくお願いします」
 座ったままぺこりと頭を下げる。
   
  「こちらこそ」
 と、にこやかな水皇と涼真と対照的に、微妙な顔つきで無言の基樹が印象的だった。
  『でも、さっきよりはまし、かな?』
 早く打ち解けたいという願望がそう見せたのかもしれないが、少しだけ戸惑いの感情が見えた気もしなくはなかった。
   
   
  「それはそうと、明日、村瀬医師が頼んでいた書類を持ってこちらに来るそうだ。長と岬さんはあさって終業式だろう?学校に提出する書類だから終業式に間に合った方がいいとお願いしておいたんだが、ぎりぎり間に合ったようだ」
 水皇がまじめな顔に戻って告げる。
      
 ずっと岬を診ていてくれた実流は忙しく、緊急オペが入ったということで退院の時に会うことができなかった。
   
  「忙しいのに先生自ら来てくれるなんて......申し訳ないです」
  「今、岬さんは必要以上に出歩かない方がいいからね。それに、病院に来させることで岬さんを精神的に疲れさせちゃいけないという村瀬医師の気遣いもあるんだろう」
   
 病院には白衣の者がたくさんいる。まだ白衣を見て恐怖を感じる自分がいることを、岬自身も分かっている。それを村瀬医師も分かっていて、気を使ってくれているのだ。
   
  『先生には明日はうんとお礼を言わなきゃ』
 そう岬が思った瞬間、
   
  「実流さんには今日会えなかった分も、、明日はきちんとお礼を言わなきゃいけないな」
 克也がまるで岬の心とシンクロしたように呟く。
   
  「あ、あたしも今そう思ってた......」
 なんとなく嬉しくて、二人で目を合わせて微笑みあう。
   
  「はー。ラブラブだねー。い?なー、あたしもいい出会い、ないかなあ」
 利衛子がぼやいた。

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