ダブルの記憶(1)

 光を感じた気がして、克也は無意識に顔をしかめる。
 とろとろとまぶたを上げると、視線の先にある窓の隙間から一条の光が偶然にも自分の瞳を直撃していた。
 いつもと違う位置で寝ているせいか、これまでここで寝たときにはなかったことだ。
   
 視線を胸元に移すと、自分の左手の二の腕あたりに岬が頭を置き、静かな寝息を立てている。
 愛しさが体中からあふれ出すような不思議な感覚に、克也は反射的に瞳を閉じた。
 岬とこうしていられる今が本当に幸せでたまらない。
   
   
 克也は今、目覚める前に見ていた夢を鮮明に覚えていた。
   
 夢の中で、自分は一人だった。
 そしてひとりぼっちの自分は、一組の恋人同士を目で追っていた。
 ―― 双子の兄である智也と、その婚約者である颯樹。
 本当に幸せそうで、二人の間には切れることのない確かな絆が結ばれているのだということが、そういうことに疎い自分にも良く分かっていた。
   
 ―― 夢でなくても、実際のところ、いつも自分はそんな二人を少しだけ遠くから見ていた。二人の邪魔をしないように。
 二人が幸せならばそれでいいと思っていたのも、事実だ。
   
   
 それなのに。
   
 その先にある重い記憶に、克也は唇を噛みしめる。
   
 
 自分を縛っていたいくつもの重い過去の鎖。
 両親との重い過去は、岬を愛し、そして岬から愛されていると実感するごとに、ひとつひとつ解かれ軽くなってゆく。
 だが、それとは違い、『この記憶』の鎖だけは、岬を愛すれば愛するほど、重くなっていく。
   
 ―― 赦されない、俺のしたことは。
   
   
   
  「......克也」
 自分の名を呼ぶ声が微かに聞こえ、はっとして目を開けると、腕の中の岬が少し上目遣いにこちらを見つめていた。
  「おはよう」
 微笑んで声をかけると、岬はほんのりと頬を染める。
   
 今この一瞬―― 岬とのこの幸せなひと時を失いたくないと切に願う。
 過去に自分が失わせてしまったひとつの幸せに、心で詫びながら。
   
   
   ******   ******
   
    
 岬が薄く目を開けた時、克也は瞳を閉じていた。
 自分が克也の腕の中にいることに、起きたてだというのに一気に心臓が跳ね上がる。
   
  『あたし......ホントに克也と一緒に、眠ったんだ......』
 まだ半分夢のような気分だ。けれど感じるぬくもりは、それが紛れもない現実なのだと自分に教えてくれる。
   
 だが、そんなほわりとした感情は次の瞬間、一気に消え去る。
 目を閉じたままの克也の眉間に突然しわが寄り、唇が引き結ばれる。そのまぶたは微かに小刻みにゆれ、それはまるで何か苦しいものに耐えるような苦悶の表情だ。
   
  『克也、苦しそう。一体どうしたの?』
 両親とのことで苦しんでいた克也の心を、少しでも救えたと思ったのは自分の奢りだったのかと心配になる。
  『ううん、それより......もしかすると昨日あたしが言ったことが、また克也を苦しめているんじゃ......』
 心に拡がる後悔にも似たどんよりした気持ちが、岬の不安を掻き立てる。
   
  「......克也」
 思わず声を出すと、克也の瞳が開く。
 次の瞬間、克也にふわりと微笑まれ、岬は体温が一気に上昇するのを感じた。ひとつ布団の中で克也の腕の中にいるというこの状況が、急に気恥ずかしく感じられてしょうがなくなる。
   
  「おはよう」
  「お、おはよ......」
 克也の声に、岬はしどろもどろで答える。
 何かがあったわけではないのに、この気恥ずかしさ。
  『こ、これでホントに何かあったとしたら......どんだけ恥ずかしいんだろ?きっと顔なんて見られないっ』
 『何か』があったときのことを考えている自分にはっとして、さらに赤くなる。
   
 そんな岬の髪に克也の指がそっと触れる。
 細められた瞳の奥に何か切ないものが見えた気がして、岬ははっとして、先ほどの不安がまた襲ってくるのを感じた。
 岬は手を伸ばし、克也の頬に触れる。
  「克也......、大丈夫?」
  「何が?」
 岬の問いに克也は心底意外そうな表情をした。
    
  「だって......、克也何だか苦しそうなんだもん。昨日、あたしが言ったことでまた克也が苦しんでるんじゃないかって、不安で......」
 表情を曇らせる岬に、克也は再び微笑む。
  「大丈夫だよ。そのことなら確かに不安はないわけじゃないけど......俺も昨日、心を決めたから。岬の命が最優先だけど、それ以外では岬の目指すものを最大限サポートしていくって」
 克也の力強い瞳にホッとしながらも、どこか不安感をぬぐえない。
  「克也......本当に?本当にそう思ってる?無理してない?」
 克也はいつも無理をする。自分を犠牲にしても岬を守ろうとする。だから、心配なのだ。
   
 そんな岬の心配を感じたのか、克也は岬の額に自らの額をくっつける。
  「大丈夫。そんなことじゃない。岬は何も気にしなくていいよ」
  「......」
 それでも探るような視線を送ってしまう岬の唇に、克也の唇が重なった。
 少しの間をおいて優しく触れるぬくもりが離れ、岬は呆然と克也を見上げる。
  
 一条の光が二人のいる辺りを強く照らしていく。
 克也は岬をふわりと抱き寄せた。
   
  「岬がそばにいてくれれば......俺はどんなことにも耐えていける。岬と、ずっと一緒に歩いていきたい。―― ずっと、ずっと、長く......」
   
 そう願うように口にする克也の腕が少しだけ震えているような気が、岬にはしていた。

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