ダブルの記憶(4)

 夕飯の後、岬と克也は一緒に縁側に来た。
 夏の昼は長い。この縁側の薄暗いオレンジ色の電灯が、先ほどようやく灯り始めたところで、あたりはまだ薄暗い程度だ。だが、確実に暗闇はもうそこまで来ていた。
 ガラス越しには、やはり灯りはじめた光が伝統的な日本庭園を幻想的に浮かび上がらせている。
   
 人払いもしたため、今ここにいるのは岬と克也の二人きりだ。
  
 先ほどここに来る前に『利衛子も一緒に――』と岬は提案したのだが利衛子は、岬と二人きりの方が克也も話しやすいはず――と遠慮したのだ。
  『あたしは岬ちゃんが一通り聞いた後にでも、ちゃんと聞かせてくれればいいよ』
 という笑顔を思い出す。
   
 そんな利衛子を思いながら、岬は克也の手を引いて縁側の、ダイニングルーム側寄りに腰を下ろす。克也も、岬に促されるまま右隣へと座った。
   
  「水皇さん、ちょっと怪しんでたよね。あたしたちの様子がどことなくおとなしめだったから」
 どことなく重い雰囲気を振り払うよう、岬は明るく言った。
  「そうだな」
 克也は微笑んだが、その笑みはどこか硬い。
   
 そんな克也の肩に、岬は自分の額をコツンと軽くもたれさせた。
  「そんなに構えないで、って言いたいところだけど――。......ごめん、きっと克也にとってものすごく話しにくいこと、なんだよね......」
   
 愛する人の過去まで全て知りたいと思うのは、傲慢なのだろうか。
 不安になる。聞きたい、けれどそれは自分のわがままなのか―― 葛藤する二つの心がせめぎあう。
 けれどこのまま何も聞かされぬままなのは自分が耐えられない。
   
 克也の視線が庭から岬へと移る。
   
 克也は今度は先ほどよりはいくらか柔らかな微笑みを向けた。
  「確かに話しやすくはないな......。でも、言わなくてはいけないと、俺も思っていた。」
   
 少し間をおいて克也は岬の右手をとり、その指を軽く絡ませる。気温の割に冷え切った指先が克也の緊張を示していた。少しでも熱が伝わることを願って岬は少しだけ指先に力を入れる。
   
 庭の明かりを瞳に映しながら克也はゆっくりと口を開いた。
  「颯樹と初めて会ったのは――」
 克也の口から彼女の名前が紡がれ、岬の心臓はきゅうっと一瞬にして締め付けられる。
  「産みの母である久遠澄香が亡くなって――......すぐあとのことだった。目の前で母親の死を目の当たりにしてしまった俺は、どこまでも沈んでいきそうなほど胸の奥がやたら重苦しくて――。そのうちに俺は......自分で自分がよく分からなくなった。自分自身の感情なのに全く自分で制御できなくて。気がついたら、笑い方も泣き方も、怒り方も――、何の感情も表せなくなってた......」
 そこで克也は一旦言葉を止め、岬と繋いでいない方の自分の手元を見つめる。
 岬は繋いだ克也の手をもうひとつの手で包み込んだ。
   
  「けれどそんな何の感情もない俺の心に、急に届いてきた言葉があった。蒼嗣の母が言った『あなたと同じ痛み――、母親を亡くす痛みを同じように味わっている者がいる』と......。その時俺は強く思った。会ってみたいと」
  「それって、智也さん......?」
 遠慮がちに口を挟んだ岬に、克也は微笑みながら頷く。
  「だからすぐに母に願ったよ、智也に会いたいと。だけど、それは許されないと言われた」
  「......やっぱり、『影』だったから......?」
 眉をひそめる岬を見つめ、克也は少し寂しげな表情をする。
  「その時は説明はしてもらえなかった。ただ、今思うと、俺が影武者であることは一族の極秘事項で――。智也に良く似ている俺は、智也からできるだけ離しておくように言われていたんだと思う。ただ......子どもである、俺と利衛には納得がいかなかった。だから――、親に内緒で会いに行ったんだ......」
  「智也さんに!?だって、相当遠くにいたんじゃ......」
  「利衛と二人、まるで家出みたいに、なけなしのお小遣いとお菓子をリュックにつめて――」
 その時のことを思い出したようで、克也は心底おかしそうに小さく笑う。
   
  「朝、両親が働きに出てからそっと家を出て――。姉と弟で一緒に祖母の家に行くのだと道行く人に嘘をついて行く先を尋ねながら、電車をいくつも乗り継いで――。ようやくここに――、久遠の家にたどり着いた時は、もう夕方近くで......。二人ともお金も食料も尽きてすごく疲れきってたんだ。だけどたどり着いた久遠の家は――、もちろん久遠の母に連れてこられたことは何度かあったから知ってはいたけれど、その時とは違って幼い子ども二人だけではいろんな意味でこの屋敷は大きき過ぎた。だからお屋敷の周りをうろうろするだけで何もできずに――。かといって帰ることもできずに、かなり絶望的な状況だったんだ」
   
  「そんな時、俺たちに声をかけてくれたのが、―― 颯樹」
 ふ......と克也は遠い目をして微笑む。ここにはないものを見ているのがとてもよく分かる瞳に、岬は少し落ち着かなくなって克也の腕に額を強く押し当てた。
   
  「颯樹には、俺が智也の弟だとすぐに分かったらしいよ。そりゃそうだよな、俺と智也と――、見た目がそっくりだったんだから」
 そういう克也の声のトーンは、少し低くなった気がした。
   
  「そこから颯樹は、『秘密の隠れ家』に俺たちを案内してくれた」
  「『秘密の隠れ家』?」
 お伽噺に出てくるようなその言葉に、岬は顔を上げて克也を見上げた。その視線を感じたのか、克也も傍らの岬に視線を落とし、悪戯っ子のような表情になって微笑む。
  「まあ、子どもにはよくある『秘密基地』みたいな場所だよ。といっても、大きくなって分かったんだけど、実はそこは颯樹の家――村瀬家縁の屋敷だった場所で、ここからわりと近くにあったんだ。だけど長らく使われてはいなくて、その時すでに空き家みたいになってた。だから大人に隠れての子どもたちの遊び場にしてたらしい。今はもう取り壊されてなくなってしまったんだけどね」
  「なんだか、楽しそう。そういえばあたしも子どもの頃は近所の子達と秘密基地とか作って遊んでたなあ。それのゴージャス版って感じだね」
 克也の話すその頃のことを子どもの頃の自分にダブらせて、想像してみると思わず顔がほころんでくる。そんな岬を優しいまなざしで見つめながら、克也は話しを続けた。
   
  「颯樹はそこで、食べ物を分けてくれて......。っていってもお菓子だったけど。そしてさらに颯樹は――、智也をそこに連れてきてくれた......。俺と智也が会ったのはそれが最初」
 克也は静かに微笑んだ。
   
  「――それからしばらくは、そこが智也と颯樹と、俺と利衛子の会う場所になった。もちろん周りのほとんどの大人たちには内緒だからそんなに頻繁にではなかったけど、それでも必死に予定をあわせてね。携帯電話もなかったし、連絡を取るのは結構大変だったけど......、でも楽しかったよ」
  「蒼嗣家のお母さんたちにはバレなかったの?」
 そう尋ねた岬に、克也は肩をすくめた。
  「バレた、バレた。そりゃあもう最初の時にバッチリ。ものすごく怒られたよ。でも――帰ってきた俺が元のように感情を表せるようになっていたから、それで良かったんだと分かってくれて......。そして自分がそれを実現してあげられなくて悪かったと言ってくれた。それ以降は密かに協力してくれてたんだ」
  「―― 蒼嗣家のご両親は、本当に素敵な人たちなんだね。克也のことを本当に思ってくれてる......」
  岬はまだ見ぬ、克也の蒼嗣家の両親を思った。
  おそらく当時の長の命令により『近づけるな』と言われていた克也を、次の長になるはずの智也と会わせるための手助けをすることが、たとえ密かにであってもどんなに危険で、勇気のいることか。
  「長の命令に背いてでも、目の前の息子である克也の心を守ろうとした蒼嗣家の両親はなんて温かで強い人たちなんだろうね......」
 岬の呟くような言葉に、克也は「そうだな......」と遠い目をする。
   
  「俺は本当に......幸せだったんだな。岬と話していると本当にそれが分かるよ......」
 そう言って克也は左手で、ふわりと自分の胸に岬を抱き寄せる。
   
  「智也さんたちとは......どんなことして遊んでたの?」
  「別に、普通に子どもたちが遊ぶようなこと。鬼ごっこしたり木に登ったり......。ただ、普通にはちょっとやらないようなやりかたをしたことはあったな......」
  「どんなこと?」
 克也の腕の中で、岬は顔だけを動かして克也を見た。
   
  「―― 術力を使った遊び。風を起こしてどちらが高く飛べるか競争したり」
  「それは面白いかも」
 思わず吹き出して笑ってしまった岬に、克也も笑う。
 だが、やがて克也は笑いを止めて目の前の庭園を見つめた。克也の深い色の瞳に、庭の灯りが映って揺れる。
    
  「楽しかったな。本当に......」
 克也は静かに、しみじみと呟く。
 そう言ったまま、克也はしばらく身じろぎひとつもせずに押し黙った。
   
  『このあと、何かが起こるのかな』
 何となくそう思った。
 おそらくこの先が―― 克也にとってつらい部分になってくるんじゃないかという気がする。
   
 言葉の代わりに、岬は克也の背中へとそっと手を這わせる。それに応えるように克也は岬の額へとそっと唇を落とした。少しの間の後、克也は自分の額を岬の額へと一度寄せ、少し離したところで口を開く。
 
   
  「最初の頃はあまり分かってなかったけど――、成長してくると自然に分かって来るんだよな......。俺はいつしか......智也と颯樹の二人の間にあるものに気づいていった」
  「二人の間にあるもの......」
 岬はぼんやりと繰り返した。
  「そう。颯樹は智也の『いいなずけ』で、大きくなったら二人が結婚するんだということはもちろん幼い頃から知ってはいたよ。でも、そんな肩書きより何より、実際にあの二人の間には確かな絆があった。二人は本当にお互いを想い合ってた......」
 顔と顔が近すぎることもあり、瞳を閉じたままの克也の表情からは感情がうまく読み取れない。けれど、明らかに声のトーンが下がっていることは分かる。それが、岬の心をも落ち着かなくさせる。
   
  「智也たちは俺の前ではそれと分からないようにしてたつもりみたいだったけど、バレバレだったな。ちょっとした間に交わされる視線の親密さとか......、いくら鈍感な俺でも気づいたよ」
 そう言う克也の笑いは妙に乾いて聞こえた。
    
 克也の様子にざわつく心のまま、岬は口を開く。
  「克也は――、どうだったの?」
   
 その瞬間、克也の笑いが止まった。
 うろたえたように揺れる瞳に、岬は確信のようなものを感じ、畳み掛けるように言葉を継ぐ。
      
  「克也の気持ちも――、彼女にあったんじゃないの?」
   
 この間、颯樹に会った時から岬にもずっと気になっていたことだった。けれど、恐ろしくて口に出せなかった。口にしたら、克也の心があの人のもとに飛んでいきそうで。
 でも、もう今聞くしかないと岬は腹をくくった。

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