ダブルの記憶(5)

  「どうして......」
 克也はかすれた声で問うた。
 図星を指され、動揺しているのがはっきりと分かる。   
   
  「分かるよ。あたしは、克也をいつも見ているから。あの人を目の前にしたときの克也はいつもと違ってた。克也は何も言わなかったけど、あたしは心のどこかで感じてたの。克也が智也さんと颯樹さんたちを見ていて、二人のことを感じとっていたように―― 」
 岬の言葉に克也は一瞬息を呑む。そしてやがて参った、とでも言うように微笑んで、大きく息を吐いた。
   
  「颯樹を好き――だったことは、認める。でも、さっきから言っているように颯樹は智也の相手だっていうことはわかっていたから、自分の胸のうちだけのことだった」
 少しだけ、寂しそうに克也は言った。
 その表情に岬の心が少しだけ軋む。
  「―― 自分の方に振り向いて欲しいって、思わなかったの?」
   
 岬の問いに克也は少しだけ目を瞠った。
   
  「―― 全くなかったかと言われると、嘘になる。でも、俺は智也のことも大事だった。だから......幸せそうな二人の関係を壊したくなかったんだ」
   
  ―― 克也......
   
 岬はその時の克也の気持ちを思った。
      
  「きっと、苦しかった......ね」
 自然と瞳に水分がたまってくるのを感じる。
  「岬」
  「好きな人が、自分じゃない人を見ているって、きついよね。それでも、二人を見守った克也は――、すごく頑張ってたと思う」
 言いながら、岬は自分のことを思い出していた。
 圭美と克也の親しげな姿を見た時。そして、誤解とはいえ、克也が聖蘭子と親しくなったのを見た時。
 自分の心の中に芽生えたどす黒い感情を、制御することがどんなに難しいことなのか、自分も良く知っている。
   
 そんな岬の心のうちを知ってか知らずか、克也は岬の髪を撫でる。
   
  「もう、過ぎたことだよ。何ていうか......それでも耐えられたぐらいの淡い恋心だったんだ。もちろん、颯樹を嫌いになったわけじゃない。でも、もう俺の中にはその頃の想いを遥かに越えるぐらい大切な人が目の前にいるから」
 そう言って克也は、どこかはにかんだような、特別で限りなく優しい微笑みを岬に向ける。
  
  「ただ......」
 そこで克也は少し眉根を寄せる。
   
  「だからこそ......。今、俺の目の前に岬がいてくれるからこそ――、あの時の自分がしたことが、どんなに酷いことだったのか、よく分かる......」
 少し俯き加減で瞳を閉じた克也の表情は、苦しそうに歪んでいた。

  「克也がしたこと?―― 智也さんたちに?」
  「―― そう......」
 ゆっくりとまぶたを開き、遠くを見やる克也の瞳が小刻みに揺れる。
      
  「あの二人を―― 永遠に引き裂いた。―― 俺......が」
 強い心の動揺を表すように、最後の部分でわずかに克也の声が震えた。
   
  「どういう......こと?」
 岬の問いに、克也は少しの間言葉を探しているようだった。
 だが、少しの沈黙の後、意を決したように真っ直ぐに岬を見つめる。
   
  「あれは忘れもしない......。十四歳の誕生日の日の夜、俺たちはいつものように待ち合わせをした。その時に―― いつになっても颯樹だけが待ちあわせ場所に現れなかった。家に連絡してもとっくに出かけたというし、心当たりをいくつか当たってみても全く居所が分からなかった。だから、俺と智也は二手に分かれて颯樹を探した。そして俺が―― 先に颯樹を見つけた......」
 そこで一旦言葉を切ると、克也は少しだけ岬の顔から視線を逸らす。

  「俺が見つけたとき、颯樹は......、竜一族の長の許婚だからという理由で、智也をおびき出すための道具にするために奈津河方の者たちに捕らえられて――。しかも......その中の数人の男に犯されそうになってた......」
 遠い目をした克也はぽつり、と呟く。 
 衝撃の事実に岬は次の句を継ぐことができず、ただ克也の次の言葉を待った。
   
  「その時のこと―― その一瞬の感情を俺は良く覚えていないんだ。ただ体中の血液が沸騰するみたいにかあっと熱くなって――......。気づいたら、力を使ってた......」
 語尾は囁くような、小さな克也の声。
  「力を......」
 岬は静かにそれを復唱する。
   
 克也の力―― 岬も何度か見たことのあるその力は、たとえ力の片鱗であっても、なんともいえない深い蒼色のオーラを伴う。それゆえに『蒼い力』呼ばれている。竜一族の長の、真に純粋な血脈を継ぐ、ごく一部の者に与えられた力。
   
  「その時まだ俺は知らなかった。自分の力がこんなに特徴的なもので――、見る人が見ればすぐに『竜族の長の家系の者』が扱う力だと分かってしまうのだと――。小さい頃から蒼嗣の両親には、この力をやたらに使ってはいけないとうるさいほどに何度も言われていた。だから智也たちと遊ぶときにこっそり使う以外は使ったことがなかったのに、その時はそんなこと頭で考えるより早く、力が出てたんだ......」
     
  「―― 颯樹さんの、ピンチだもんね......」
 岬がそう言いながら克也の顔を覗き込むと、克也は複雑な表情で頷く。
      
 その時の克也の状態を誰も責められはしないはずだと岬は思う。
 誰だって好きな女性が目の前で犯されそうになっていれば冷静さを欠いて当たり前だ。どんなことをしても助けようと思うはずだから。
   
  「俺が力を発現させてしまった時、颯樹が襲われていた場所からは少し離れたところにいたから姿は見られなかった。だけどそのうちの一人が、すぐにそれが『蒼い力』だと気づいた。多分それが竜の長である智也のものだと思ったんだろうな。颯樹を使って智也をおびき出そうとした自分たちの計画が成功したのだと、その力がどこから発されたのか嬉々として探し始めた。」
   
 克也の見やる庭の緑がライトに照らされて独特な輪郭を縁取るのを岬も、克也に寄り添いながら眺める。辺りはすっかり闇の世界となっていた。
 岬たちの座る縁側は、暖色系の照明がほんのりと照らす。
   
  「その時の俺は実戦経験もなかったし、力の使い方すらもまともには知らなかった。だから、自分の使った力だというのに自分で驚いて――、そこに智也が現れてくれるまでは訳も分からずその場に立ち尽くすしかなかった。智也は放心状態の俺に、自分が何とかするからお前は逃げろ、と俺をその場から去らせようとした。でも、そんなことできるわけがなかった。自分の力のせいで長である智也に迷惑はかけられないと言い張る俺に......智也はその時――......こう言い放った。」
   
 克也の表情が無機質なものへと変わる。
   
  「『そうやってお前は自分の持つ強大な力を見せつけることで、俺との力の差をはっきりさせて俺から長の地位も颯樹も、何もかもを奪うつもりなのか』と。そんなことは思ってもみないことだと反論しても、聞き入れてはくれなかった。それどころか――、驚きで声も出ない俺に、智也は畳み掛けるように言ったんだ。『俺が気づかないとでも思っていたのか?お前も颯樹が好きなんだってことぐらいお見通しなんだよ』ってね。さらに『ああ、そうか。お前も颯樹を抱きたいんだろう?』って言われた時には、恥ずかしさと怒りで頭の中が真っ白になった......」
   
 『抱く』というどぎつい言葉に、岬の心臓もどきりと大きく脈打った。
 克也はかつて颯樹のことを抱きたいと思ったのだろうか。
 動揺に指先が僅かに震えるのを隠すように、岬は克也の背中に回した手に力を入れる。
      
  「さらに智也は、俺のことがずっと憎かったと言った。弱い術力しか持っていない自分と比べ、強大な力を持つ俺のことがずっとうらやましくて憎らしくて仕方がなかったんだと。『お前なんかいなければいいとずっと思ってきた。俺がどんな気持ちで生きてきたのか、お前に分かるのか?』と問われた時にはハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えた。――ショックだった。自分の心を抑えて智也と颯樹、二人の幸せを願ってきたのに、それが全部否定された気がした。ショックと怒りで、冷静な判断ができなくなって......俺は......」
 克也の指先が小刻みに揺れる。
   
  「俺は――、智也に背を向けた。―― その場から、逃げた。」
   
 そう言う克也は顔面蒼白だった。

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