異変(2)

 大画面に映るニュース番組。
 六〇インチ液晶の前の広いソファに二人の男がお互いに少し離れて座って画面に見入っている。
   
  「なるほどねえ。大胆な手法だよな」
 ソファの硬い部分に脚を組んで腰掛けながら一人の男―― 奈津河幹部の一人である内村光留は不敵な笑みを作る。
  「でも、ちと地味なんじゃないの?もっとあちこちでどかんどかんと事件を起こさせたほうが効果的なんじゃない?」
 首だけを動かして振り向き、もう一人の男に語りかける。
 話しかけられた方の男―― 中條御嵩はソファに深く沈みこみながら呆れたようにため息をつく。
  「そんなにいくつもの場所で事を起こしたんじゃ、僕の身が持たないよ。それに、こういうのはひとつの事件で十分なんだよ。たった一つの事件がとてつもなく大きな闇を照らすきっかけになりうるんだからね」
 「ふうん。そういうもんかねえ。俺はいまいち派手さに欠けててもったいない気がするけど」
 光留は少し不満げに眉を寄せたが、すぐに気を取り直したように、座ったまま体を伸ばして伸びをする。   
  「とはいえ......長い間いがみ合いながらも、自分たちの身かわいさにお互いに暗黙の了解として触れてこなかった『パンドラの箱』を開けるという、タブーを侵すなんてな。旧来のやり方をことごとく破壊するお前らしいやり方だ。ぞくぞくするねえ」
  「ねえ。僕をまるでモンスターみたいに言わないでくれる?―― まあ、確かに誰かの敷いたレールの上をそのまま歩くのは嫌いだけどね」
 少し拗ねた少年のようなあどけない表情は、言葉の途中で策士の笑みへと変化する。
 そしてやがて、自分の腕時計をちらりと見やり、口を開いた。

  「光留、悪いんだけどこの辺で帰ってくれる?」
   
 おもむろに話題を変えた御嵩に、光留は怪訝な顔になる。
  「なんだよいきなり」   
  「いや、そろそろ『彼女』が来る予定なんだよね。ここにいない方がお前の身のためだし、その方が僕の仕事もしやすいし」
 御嵩の笑みに、光留は肩をすくめた。
  「なるほど、例の『彼女』ね。確かに『彼女』は俺に会いたくないだろうな。あの気の強いところとか、超俺のタイプなだけに残念だけど。ああいう、ちょっとやそっとじゃなびかないようなタイプを無理やり征服する快感っていうの?そそるんだよねえ。ついむらむらっときちゃう」
 くっくっと残忍な光を瞳に宿し、光留は可笑しそうに笑う。
   
  「ほら。そういう気の短い変態気質が『あんな事件』を引き起こしたんだよ」
 御嵩は呆れたように片方の眉を上げ、眼鏡の端を人差し指で押さえた。
  「あれは結果オーライだったんだからいいだろ」
  「でもお次が来ちゃったけどね」
  「まあまあ。それは言わない約束よー」
 そう言って光留は御嵩の肩をバシバシ叩く。
 どこか真面目さに欠ける目の前の男をぎろりと睨む御嵩に、光留は再び肩をすくめる。
  
  「分かってるよ。お仕事のお邪魔はしたくないからおとなしく帰りますよ。すうーっと、ね」
 そう言い置いてドアノブに手をかけ、ひょいともう一方の手を一度だけ振り、口笛を吹きながら遠ざかってゆく。その飄々とした姿が、閉まる寸前のドアの隙間から見えた。
   
  「やれやれ......。光留はあの変態気質と気が短いのさえなければいい子なのになあ」
 ため息をつく。だがその瞳はどこか愉悦を含んでいた。
   
      
   ******   ******
   
   
 事件が起こってから数日。
 事件のことが様々な角度からメディアに取り上げられ、次第に久遠家をとりまく環境は騒がしくなり始めていた。
 まず、殺傷事件を起こした佐竹が久遠フィナンシャルグループに属する社員、しかも役職的に上の地位にいる者であったことが明らかにされたこと。そしてさらに問題はそれだけに留まらず、佐竹は自分の部下である女子社員を巻き込んだ横領事件まで起こしていたのだ。二重の意味での会社のイメージダウンに、取締役社長である水皇は後処理と信頼回復のための対応に追われていた。
   
 そして、ここ数日は会社に泊まりこみであった水皇が帰ってきたのはつい数時間前のこと。
 この屋敷での夕飯が済んだ頃だった。
 以前なら夕食後は克也とのんびり縁側で話をしたりしていた岬だが、ここ数日はそんな時間が取れなくなっていた。屋敷全体が緊迫の雰囲気に包まれていることと、事件による動揺が一族全体に広がっていることで、来客や電話の対応を長である克也が対処しなければならないことも多いからだ。 
 それに伴い、こまごまとした事をお世話するお手伝いである静流たちも忙しくしていたので、居候の自分にも何かできることはないかと考えていた岬は今、稔里の仕事を無理やり代わり、一階の広間で持ち帰りの仕事をする水皇にお茶を運んできた。
   
 なるべく音を立てないように気をつけながらふすまを開くと、端の背の低いテーブルの前に胡坐をかいて座る和服姿の水皇が見えた。
   
  「稔里さんが忙しそうだったから暇なあたしがお茶持って来ました。―― 家に帰ってまでお仕事の続きですか?」
 岬が声をかけると、難しい表情で書類とにらめっこしていた水皇がはっと顔を上げた。勘の良い水皇がこんなに近くに来るまで存在に気づかないのは珍しいと思う。それだけ集中していたということだろう。
 水皇は眼鏡―― 老眼鏡をはずしながら岬に微笑みかける。
  「そう、なかなか終わらないからね。本当は会社でと思ったんだけどさすがにちょっと家が恋しくなって......って、こら。岬ちゃんだって暇じゃないはずだよ?学生の本分、勉強に専念しないと。受験生は余計な気を使わないで勉強してていいのに。克也も何かと俺を手伝いたがるけど、岬さんもだ。この似たもの夫婦め」
 茶化すように笑う水皇の表情は、隠してはいるが少しだけ疲労の色が見える。
 『夫婦』の言葉につい頬が熱くなってしまった岬は、それをごまかすように次の句を継いだ。
  「克也も――なんですか?」
 岬の問いに水皇は肩をすくめた。
  「そうだよ。さっき突然この部屋に来て、事件のおかげで表向きの仕事で忙しい俺の代わりに、裏の仕事の方は自分に任せろって、無理やり一族関係の書類を奪っていったよ。それでなくてもあいつには一族関連の仕事が回ってしまっているのに」
   
 克也も自分と同じなんだろうと思う。
 この難しい局面の最前線に立って闘っている水皇のために、自分も何かをしていたいのだ。
    
  「―― 無理するな、っていうのが無理な話なのは分かっているつもりですけど......。でも、体には本当に気をつけてくださいね......。水皇さんは克也にとってすごく大きな存在なんですから、何かあったら克也もすごく心配すると思うから......」
 思わず本音を漏らす岬に、水皇は握っていたペンを机の置き、にやりと微笑んだ。
  「岬さんは克也のことが本当に好きなんだね」
  「えっ......」
 岬がどぎまぎしていると、水皇は僅かに目を細める。
  「岬さんが克也のそばにいてくれて本当に良かったよ。これからもたのむね」
  「はい――って、どうしたんですか、急に」
 岬が聞き返すも、水皇は黙ったまま微笑むだけだ。
     
  「あっ、と、すいません。お仕事のお邪魔ですよね」
 慌てて立ち上がる岬に『大丈夫、大丈夫』と手を振る。
 そんな水皇のまなざしはどこまでも温かい。
   
 岬はぺこりと一礼するとふすまを閉め、部屋を後にした。
   
 廊下をゆっくりと進みながら岬はぼんやりと思う。
  『どうして、こんな事件が降りかかってくるんだろう。それでなくてもここにいる人たちは竜一族という大きなものを抱えている人たちなのに、こんな風に一族以外の仕事の問題まで、だなんて』
   
 それがあれほどまでに大きな一族を束ねる者の宿命なのか。
 今は水皇が担ってくれているものもいずれは克也が治めてゆかねばならないのだろうと思うと、克也の背に背負うものの重さを改めて感じる。
   
 克也の表情が目の前に浮かぶ。
   
 そこまできて、自分が何も考えずに歩いていたことに気づく。岬は克也の部屋に続く階段の真下に来てしまっていた。
  『やだ、あたしってば。一度行ったからって気安く行ける場所じゃないっていうのに』
 思わず頬に熱が集まる。
  
 「全く、あたしの頭の中は克也しかいないのか、っていうの」
 思わず岬は小声で自分に突っ込みを入れた。
   
 すると
  「俺がどうかした?」
 後ろから声をかけられ、岬は驚きでびくりと肩を揺らしてしまう。
 振り返ると、そこには微笑む克也がいた。
   
  「克――」
 岬が名を呼び終わらないうちに、克也は岬の手を引いた。そしてそのまま目の前の階段を上り始める。必然的に岬もその後について階段を上ることになった。
 階段を上りきった背中側に克也の部屋と水皇の部屋があるのだが、克也は今、目の前の正面左手にある扉を開き、岬を中にいざなうとその扉を閉める。
   
 ―― そして。
 次の瞬間、岬は克也に引き寄せられていた。

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