二人の朝
ひたすらいちゃいちゃしてます(笑)ただし、R指定モノの展開はありません(笑)
▼
▼
▼
▼
▼
五歳位の男の子が壁にもたれている。
その瞳は、どこかを見ているようでどこも映していないかのようだった。
「かつやー、みてみて!ほらあっ!」
男の子よりも少しだけ大きな年齢の女の子が、大きな声を出して男の子の気を引こうとする。
しかし、何をしても表情を変えない男の子に、女の子の顔が次第に曇っていき......やがてその表情をくしゃっと崩したと思うと――
「うわあん」
激しく泣き出してしまう。
「ばかあー!かつやのおおばかー!!お人形さんみたいなかつやなんて大っキライっ!」
「あらあら」
ラッパのようなけたたましい女の子の泣き声に、一人の女性が駆けつけた。
女性は女の子の頭にぽんと手を置くと、その横にいる男の子に目をやった。
女性は、まだどこか夢を見ているような男の子の目の前にしゃがむ。
焦点を結ばない男の子の瞳と、自らの瞳が合わさるような位置に。
「克也」
男の子――克也、の肩に優しく触れながら、いたわるようにその名を呼ぶ。
「つらいよね、そんな小さな心と体で受け止めるのは苦しいよね」
女性は、自らもつらそうに、けれど懸命に微笑む。
「でもね克也、あなたは一人じゃない。もちろん、あなたのつらさを変わってあげることはできないけれど――、でも、あなたが心を痛めれば痛めるほど――、私も、利衛も蒼嗣のお父さんも、つらいの。」
そう言って、克也の額に自分の額をくっつける。
「克也、忘れないで。澄香様はいなくなってしまったけど、ここに私が――静枝母さんはいる。蒼嗣のお父さんだって、何も言わないけれど克也を心配しているの。利衛もこんなにちっちゃいけど、あなたの『家族』であることには変わらないんだからね。」
そこで克也は初めて顔をゆがめて、泣きそうな顔をした。
「それにね。今ここには、そばにはいないけれど、あなたと同じ痛みを今まさに抱えている男の子がいるわ。きっとその子も――泣いていると思う。」
「――ともや?」
克也の表情が明らかに動いた。無機質だった顔に生気が戻る。
「そう。智也様。智也様にとってもお母さんがいなくなってしまったんだから。でも一人じゃないよ。お母さんのお腹の中にいるときから、あなたと智也様はなんでも半分こしてきたんだもの。悲しいことも、きっと半分こにできる。」
そう言いながら静枝は、克也を励ますように力強くうなずいた。
「会いたいな......」
ふっと克也がつぶやいた。
「会いに行こうよ!」
すっかり泣き止んだ利衛子が張り切って言ったが、静枝は苦笑した。
「ごめんね。それだけは――できないのよ」
「なんでよっ!」
すぐに反論したのは利衛子の方だった。
それでも、すまなそうに謝るだけで、会うことを許そうとしない母に、利衛子も克也もまだ自分たちが幼いゆえに、不本意ながら黙るしかなかった。
二人が落ち着いたのを見計らい母はまた台所へと戻っていく。
その後姿が部屋の向こうに消えるのを見送ると、利衛子は克也の顔を覗き込んだ。
そしてにこりと不敵な笑みを浮かべて、小声でそっと克也に耳打ちした。
「ねえねえ、行っちゃおうよ、会いに。」
克也は驚きに目をしばたたかせた。
■■■ ■■■
「りえ......」
口に乗せた自分の言葉が目覚まし代わりになって克也は気がついた。
......意識はどんどん戻ってくるが、体が重くなかなか瞼を開けられない。
『思ったより昨日の継承式の疲れが出てるな......。今、何時だ?』
いつも枕元に置いてある時計をとろうとして手を伸ばすが、ない。
不思議に思ったその時、
「寝言で他の女の人の名前を言うなんて。妬けるなあ」
顔のすぐ近くで声がして、克也は夢見心地から一気に現実へと引き戻される。
がばっと肘をついて半身を起こすと、超至近距離に岬の笑顔があった。
「ご、ごめん、俺すっかり寝入っちゃって――」
起き抜けだというのに、焦りと照れで体中が熱い。
「いいよ。疲れてるんでしょ?うちも父も姉も夕方までは帰ってこないからゆっくりしてて大丈夫だよ。」
そう微笑んだ岬が、急に何かを思い出したように真顔になる。
「あ!でも......克也、なんか予定があった?だとしたら起こさなくてごめん!」
真剣に焦り始める岬のくるくる変わる表情が面白く、克也は吹き出した。
「今日はお疲れ休み。夕方からちょっと挨拶しなきゃいけない人はいるけど」
急に笑い始めた克也に少し怪訝な顔をしながら、岬は「そう?」と一応は納得する。
岬の背中の方に時計があるのに気づいて見ると午前八時を回っていた。
そこでふと、克也は引っ掛かりを覚えた。
この連休、岬は昨日しか予定があいてなかったのではないだろうか。あとは試合で。だから会えないはずだったのだが。
「そういえば、岬は?試合があるんじゃ......」
体を起こし、ソファに座る。寝乱れた襟元を直す。
岬は一瞬動きを止めた。
ややあって、
「――今日、栃野岬は体調不良でーす」
ぺろりと舌を出した。
でも、目の前にいる岬はどうみても元気そのもの。
「バレたらやばいよね」
肩をすくめる。
そして、にやりと笑うと――、岬はソファに座る克也目がけて飛び込んだ。
ソファに沈んだ克也の、首に自分の腕を巻きつける。
「こんな風にできる時間を、みすみす逃すわけにはいかないもん」
いきなりのことに戸惑いながらも、克也は笑って岬の背中にそっと手を添える。
なんだか新婚夫婦みたい、と笑う岬を心底いとおしいと思う。
■■■ ■■■
ご飯と味噌汁、そして目玉焼き、と岬は朝食を作ってくれた。
簡単なものではあったが、それなりの手つきに、家で料理をすることはそう珍しくはないのだと分かる。お姉さんに家事の多くはやってもらえるから自分はあまり家事は得意ではないのだと岬は言っていたが、それでもお姉さんが働いている以上、必然的にやらなければいけないこともあるだろう。
ダイニングテーブルで向かい合って朝食をとった後、岬は、克也に再びリビングのソファに座るように促した。
「あたしのせいでここまで来させちゃって、本当にごめんね。それでなくても克也は昨日、朝から忙しかったんでしょ?」
岬が謝る。
「あ、いや、そんなには。」
否定しようとしたが、すぐに岬はちょっと怒ったような表情をした。
「嘘。あんなに大きな儀式なら、やる前から絶対に忙しいはずだよ。」
そう言って、岬は克也の隣にちょこんと腰を下ろす。岬が顔を上げると目が合い、克也は微笑んだ。
「でも、――昼間のことがずっと心に引っかかったままだったから、かえって精神的にはよかったんだと思ってるよ。昼間は......怒鳴ったりして、本当にごめん」
最後の謝罪の言葉で、急に表情を曇らせた克也に、今度は岬が微笑む。
「あの時はちょっとびっくりしちゃったけど、もう大丈夫だよ。」
昨日のことを思い返すと、とても遠い日のように感じられる。
岬も同じく昨日を思い出しているようで、遠くを見るように目を細めていた。
「克也、かっこよかったよ」
目を輝かせる岬とは反対に、克也自身の気持ちは沈んでいく。目の前のテーブルに視線を落とした。
「そんなことないよ。――岬を、守れなかった」
岬は小さくかぶりを振った。
「守ってくれたよ......。防御、してくれたんでしょ?――蒼くて綺麗な光が、あたしを光の刃から守ってくれたよ。......蒼い――青よりも深みのある蒼色の光。謎めいてて、克也そのもの、って気がする――。」
岬がそんな風に言ってくれるとは思わなかったが、この『蒼い力』には、どうしても思い出したくない過去の記憶を引き出されてしまう。心が軋むその痛みを、今は考えないように、克也は岬の肩に手を伸ばした。
「――氷見からは守れなかったな......」
「氷見ってあの怖いおじいさんだね。」
克也は岬の腕にそっと触れる。氷見に乱暴に引っ張られた腕。
「他に何もされなかったか?」
「うん。大丈夫。」
岬が克也を上目遣いに見てにこりと笑うと、克也もホッとした。
岬は再び視線を下の方に移し、克也の左手をそっと自分の方に引き寄せた。
克也の人差し指には、昨日儀式でつけた刃の痕が、まだ紅く一本の筋になっている。
「痛そう」
眉根を寄せる岬に、克也は微笑む。
「大丈夫。加減はしてるから見た目より傷自体は割と軽いんだよ」
「本当に?」
まるで自分に傷があるかのような表情で確認する岬に、克也は大きくうなずいた。
「絆創膏貼る?」
「忘れてた。――いいよ、たいしたことないから」
「ダメダメ。見てるあたしが痛そうでやだ」
そう言って立ち上がり、薬箱をごそごそやる岬。絆創膏を手に戻ってくると、さっと克也の指にそれを巻きつけた。
そして、満足そうに息を吐くと、再び口を開く。
「克也はすごいね。あんなにたくさんの人に慕われているんだね。そして、その分あれだけの期待に応えるってパワーがいるよね。......あたしも、克也を支えられるよう、覚悟を決めなきゃ。」
「覚悟?」
克也は岬の顔を覗き込む。
「うん、覚悟。何があっても――、克也に――ついていくっていう、覚悟だよ」
岬は笑顔ではあるが、その瞳に強い信念を見た気がして、克也は目を細めた。
「中條さんは前に、はっきりと言ったんだ。『長を筆頭とする能力者を全て消し、竜一族を滅ぼしたい』って。そのためにあたしの力が必要だって、言ってた」
分かってはいたが、改めてそれを聞き、克也は自分の表情が険しくなるのを感じる。
「あたしは、間違えるところだった。あのままだったら、あたしさらに克也に仲間を、どんどん失わせて――。そしてもしかしたら――克也自身に刃を向けていたかもしれない......」
「――全ての原因を作ったのは俺だ」
克也は懺悔するように瞳を伏せる。
けれど岬はまた小さく首を振った。
「いくら原因があっても、そうすることを選んできたのはあたしだから。」
岬は克也の腕に自分の両腕をからめ、肩に顔をもたれさせる。
「竜一族を滅ぼすなんて――、そんなこと、絶対にさせない。もう、間違えない。自分の心も見失わない。」
腕はそのまま、岬はゆっくりと顔を上げて克也をまっすぐに見つめた。
「あたしが生きることが、克也が生きる意味につながるのなら――、あたしももう昨日みたいに命を投げ出したりしないよ。その代わりに――克也も、死なないで。あたしも、克也を失ったら......生きられない気がするから」
克也は微笑み、岬の背中を優しく抱き寄せる。
「二人で生きよう。必ず。」
「うん、生きよう」
そういって岬は、触れていない方の克也の手を取り、自分の指を絡ませる。
二人がいくら願っても、一族に連なる者――特に自分たちの身には、いつ何かが起こってもおかしくはない。それは自分たちも十分分かっている。
でもだからこそ、強く、強く誓う。強く誓うことで、願いが現実を引き寄せられるように。
岬のぬくもりを感じながら、克也は正面に見えるローチェストの上に飾られた家族三人の写真に目を留める。わりと新しめな写真のようで、写真に写る岬は今と大して変わらない姿だ。
普段は父と娘二人が暮らすマンションの一室。
その他にも所々に家族の思い出の写真が飾られている。
『家族』のぬくもりに、克也は目を細める。
ある時から、自分にとって『家庭の温かさ』は縁遠い話なのだと諦めた。
けれど今は、また自分はそれを欲している。目の前の少女と『家族』を築く夢を見ている。けれど自分と『家族』というものがうまく結びつかなくて、不安になる。また幻となってしまう時が来るのではないかと。
――『家族』――
何年ぶりかに会った利衛子の態度は、まるで毎日会っているかのように自然だった。
智也のことで荒んでいた気持ちのまま、感情的になった自分はあんなにひどいことを言った挙句、逃げるようにあの家から出てきてしまったのに。
克也は今、過去の自分と真剣に向き合う時期が来ていることを、はっきりと感じていた。
自分の罪がどんなに苦しくても、自分が乗り越えなければ、岬を支えてやれない。
克也は、繋いだ手を自分の方へとそっと引き寄せると、岬の手の甲にそっと自らの唇を触れさせ、瞳を閉じた。
岬は少しだけ身を震わせたが、そのまま身を乗り出し、反対の腕を克也の首に回す。
やがて繋いだ方の手もゆっくりと解き、もう一方の岬の腕も首の後ろへと回ると、克也は両腕で岬を強く自分へと引き寄せる。
二人はしばしそのまま、甘いぬくもりに身をゆだねていた。