星に願いを

  「かわいいわね」
 青い花瓶の中の小さな竹を見つめて澄香は微笑んだ。
   
 『ミリオンバンブー(ドラセナ・サンデリアーナ)。 竹と呼ばれるが、実は竹の仲間ではない。ただ、姿形が竹に似ている上、お手入れ方法も手ごろなことから、この七夕の時期によく見かける。 生命力がとても強く、幸運を運ぶとされる。』
   
 小さな紙の説明書きをそっと花瓶の横に戻す。
   

 澄香は、視線を自分のお腹に移した。いつごろからか、無意識にお腹に手をやる癖がついている。
  
 腹の中で、もぞ、と命が動き、澄香は思わず口元をほころばせた。
 この中で力強い鼓動を刻む二つの命は、今この世に生まれてもいいほど成長し、華奢な澄香の目いっぱい膨らんだお腹の中で、もう思うようには体が動かせないほどに、ひしめきあっている。
     
 穏やかな澄香の表情に、身の回りの世話をしてくれている静流も安堵したように微笑む。   
   
  「このところ、食事も量も増えてきましたし、もしかすると赤ちゃんの位置が下がってきたのかも。――きっともうすぐですね。」
   
 澄香は、産み月が近づくにつれて、ずっと胃がもたれたようだといって調子が悪く、食事もままならない時期が続いていた。だが、先ほどの言葉通り、ここ二、三日は調子が戻ってきていた。
   
 微笑みながら、愛しそうにお腹をさすっていた澄香は、にわかに表情を曇らせた。
   
  「澄香様?」
 静流は心配そうに澄香の顔を覗き込んだ。   

  「本当に、これでいいのかしら」
  
 澄香は目の前の静流にではなく、どこか遠くを見つめてつぶやく。
   
    
 この世に生れ落ちた瞬間から、この子達の運命はなんて過酷な道を辿るのだろうか。
   
 一人は一族の長に。
 もう一人はその影となり。
   
 どちらにしても茨の道のだと澄香には思える。
 それを思うと、ずっとこの自分の中に閉じ込めて守ってやりたい衝動に駆られる。
 
 生まれると同時にそのうちの一人とは別れなければいけない。
 あの人はその子をただの捨て駒としか考えてはいない。
 それを思うと、いつもたまらなく苦しくなる。うまく息が吸えなくなって。
 胸に手のひらを当て、苦しさを逃すように、ゆっくりと息を吸って、吐くを繰り返す。
   
 その時だった。
   
  「あっ」
 思わず顔をしかめた澄香に、静流がぱっと視線を注ぐ。
   
  「澄香様!?」
   

 下腹部に走った鈍い痛み。
 ――まさか。
   

 時計を見る。
 なかなか時は動かず、緊張だけが。過ぎる。
   
 忘れた頃にもう一度同じ痛みが襲う。
 痛いというより重い、という感覚のような。
   
  「澄香様、もしや、陣痛が!?」
  「――来た、かもしれないわ」
 心臓がどくりと脈打った。
 鳥肌の立つような緊張が走り、自分で自分の腕を掻き抱く。

      

 間隔が明らかに先ほどと同じになっている。
   

  「―お待ちください、人を呼びます!」
 静流はばたばたと部屋のすぐ外にいる者になにやら指示を出している。  
   

 お腹の中から出してしまうことが、罪のように感じられて、とっさにお腹を両掌で押さえた。
 そんなことをしても何もならないのに、掌に力をこめる。
      

  「ごめんなさい、ごめんなさい」
 気づけば、うわごとのように繰り返していた。
   


   ■■■   ■■■  
   

 予てから決めていたように、先に生まれた、長となるべき運命を背負った子供に『智也』と、そして、その影となるべき最も辛く苦しい運命を背負った、後から生まれた子供に『克也』と、澄香はそれぞれに名を贈った。

   
  「私にできることは、もう何もないのね」
 熱い涙が、頬を伝う。
 過酷な人生を歩むであろう息子たちに、もう何もできない。
   
  「澄香様、――大変申し上げにくいのですが......」
 静流は消え入りそうな声で告げた。
  「分かっています。もう――お別れなのね」
 覚悟は決めたはずなのに、心がきりりと痛む。
  
 まるでその瞬間が分かったかのように、『克也』がビクリ、と体を震わせた。
 その時、姿かたちは二人とも寸分も違わないように見えるのに、澄香には分かってしまった。この子が発する鮮烈な力の片鱗。

  「ああ......」
 思わず抱き上げ、その温かなぬくもりを自分に引き寄せる。
  「なんて皮肉なの」
 腕が小さく震える。
 か弱く、そして重い、その命を落とさぬように、腕により力をこめる。
   
 影となる者がこんなに強い力を持っているなんて。
 こんなに小さいのに、それでも感じ取れるほどの力を秘めている。影として生きるには強すぎるその力。
 こんなに強い輝きを放っているというのに、あらゆる危険から、この子を隠し通せるのか。

   
 いっそ取り替えてしまおうか。
 今なら、あの人には知られずにそれができる。
 澄香は悪魔のようなささやきを聞いた。それは悪魔であり、自分の声でもあった。
  
 意を決して、もう一人の横に『克也』を降ろそうとしたとき、
  「ふあ......」
 一声だけ、『克也』が顔をしかめて泣いた。
 まるで抗議のように。
    
 手を出すことは許さないと――、自ら、その運命を選んだのだと克也が言っているように、その時の澄香には思えたのだ。
      
  澄香はゆっくりと瞳を閉じた。
      
   
 静流も、黙して涙をひたすら流し続けていた。
 克也を抱いたまま、静流の前まで歩みを進める。
 主人の思いを受け止め、その腕を伸ばし、『克也』を受け取る。
 その思いに静流の心と、腕が震えた。
   
   
   

 小さくなってゆく泣き声。
 心が引き裂かれるような喪失感に耐えられず澄香は、不思議と片割れと同時に泣き出したもう一人の息子を抱き上げる。

   
  「『智也』」
 目の前で、顔をくしゃくしゃにし、真っ赤になって泣く智也の頬に、自分の頬を寄せた。
  「あなたにもごめんなさい。不甲斐無い母を許して......!」
 止めることのできない涙が、智也の産着を濡らす。
   
 ふと視線の先――窓の外に明るい星が見えた。
 先ほどまでしとしとと降り続いていた雨が晴れ、雲の隙間から空がのぞいていたのだ。
 智也を抱いたまま、澄香はのろりと歩み、そっと片手で窓を開けた。
 すると、急に腕に抱いた智也が泣き止んだ。

   
  「あの子も、泣き止んだかしら」
 つぶやいてみる。

  『克也』
   
 あなたは決して、あの人の言うような捨て駒なんかじゃない。
   
 困難に立ち向かい、克(か)つことができるように、願いをこめて名をつけたの。
 きっとあなたなら、その名のとおり、運命に克つことができると思うのは、私に負い目があるからそう思いたいだけなのか。

   
   
 どうか、息子たちに、最上の幸せを。
 そう望む資格など自分にはないのかもしれない。
 けれど願わずには、祈らずにはいられない。

 ――星に願いを託すことができるのなら、どうか――
   

  どうか、息子たちに、最上の幸せを。
  今の私が望むのは、ただそれだけ。

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