記念日じゃなくても
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岬が勝手にバレンタインとして克也にチョコをあげてから数週間後のとある日曜日。
岬は待ち合わせの目印である駅前の時計の針と、自分のした腕時計の小さな針を見比べていた。
「克也が遅れるなんて、珍しいなあ。あたしなら分かるけど」
時間のとり方が下手な自分とは違い、几帳面な克也はいつも待ち合わせ時間に遅れたことはない。
けれど、今日は決めた時間より十分も遅れている。
岬も克也も、今時の高校生にしては珍しく、携帯電話を持っていないので、こういうときに連絡を取ることができない。
「あー、携帯欲しいよー。今時あたしたちぐらいじゃないの、こんな不便な思いしてるの」
岬は小さく独り言ちて、あたりをきょろっと見渡した。
『よく考えたら、利由先輩だって携帯持ってたよね?なのに、長である克也が持ってないってどういうことよ。』
思わず矛先が違う場所に向いてしまう。
少々強めな温かな風が岬の二つに結わいた髪を揺らす。綺麗にセットした髪がくしゃくしゃになってしまったのを岬は軽く手で撫で付ける。
ここのところ克也は忙しく、学校以外ではなかなかあえない日々が続いていたから、休日に会うのは本当にしばらくぶりだった。
だから、なおさら心が逸る。
しばらく時計と睨めっこが続いたが、ややあって遠くから、見慣れた姿が走ってくるのが見えて、岬はホッとする。
「ごめん!」
肩で息をしながら、克也は岬の前で頭を下げた。
「どうしたの?克也が遅れるなんて珍しいね・・・・・・家の用?」
今までの心の動揺を隠して岬は笑顔を作る。
この場合の『家』とは一族のことである。
「あ、いや、そういうわけじゃない」
そう言って克也は、少々気まずそうに岬から少し視線をずらす。
岬は『そっか』としか言えず、二人の間には気まずい沈黙が流れた。
克也が竜一族の長ということを意識してからというもの、岬は克也が言いにくそうにしていることは強く詮索できないようになっていた。何か、自分には絶対に入ってはいけない領域というものがあるような気がして。
克也が長だと知る前も何か一線を引かれているような感じはあったが、自分の努力次第でいつかはそこに入れるかもしれないという希望もあった。
でも今は、絶対的に超えられないような――超えてはいけないような一族と一族の壁を感じる。
それを強く詮索することで、克也を困惑させてしまうのは嫌だった。それでなくても克也は自分のために数々の犠牲を払って側にいてくれる。それなのに、これ以上我がまま言って克也を困らせることはできない。
そんな切なさに思わず握った拳に、にわかに暖かさを感じて岬ははっとする。
岬の拳を克也の大きな手のひらが包み込んでいた。
複雑な胸中を知っての行動かは分からないが、その温かさは心にしみて、岬は自分の目に少しだけ涙がにじむのを感じてうつむいた。
「ちょっと、歩こうか。」
そのまま、克也は優しく岬の手を引いた。岬もうなずいて歩き出す。
駅前の雑踏をくぐりぬけ、少し離れた場所の公園にたどり着いた。
入り口を入ると、両脇に緑の木々が整然と茂り、少しはなれたところには小さな池と噴水もある。 市民の憩いの場だ。
公園は、家族連れやカップがちらほらいたが、桜の季節が終わったからか、それほど混んでいるわけではない。
何の目的もなく二人は手をつないで公園内を歩いたが、照れ屋の克也が人目も気にせず手をつないだままなのは珍しいと思う。
けれど、何も言わないで歩き続ける克也に、何か一族のことでまずいことが起きたのかと岬は不安になった。
思わず克也を見上げると、半歩前を歩いていた克也がぴたりと足を止めた。
「克也?」
おそるおそるそう口にして、克也の横顔を斜め後ろから覗き込む。
すると克也は体勢は変えず「これ・・・・・・」とだけ言って、片手で岬の前に小さな紙袋を差し出した。
そういえばこの紙袋、待ち合わせ場所に現れたときから克也が岬とつないだ方の手と反対の手に握られていたような・・・・・・。
「なに?」
手に取っていいものか岬が躊躇していると、克也はつないだほうの岬の手を引っ張り、その手に紙袋を握らせる。
「――っ、その、それ・・・・・・あれ、なんだけど・・・・・・」
克也は岬と目を合わせずに指示代名詞だらけの言葉を口にした。傍で聞いたら全く意味が分からないに違いない。実際、岬もその意味不明さに首をかしげた。
克也の横顔が少しだけ紅く見えるのは気のせいか。
「この間・・・・・・岬にもらったから」
その言葉に、岬の中で何かがつながった。
「もしかして・・・・・・バレンタインのお返し?」
「・・・・・・そう」
居心地が悪そうにあさっての方を見ながら、克也が肯定した。
この前『そばにいてほしい』とストレートな言葉で愛を語ったかと思えば、こんな風に小さなお返しを渡すのでさえためらうほど不器用な克也。
克也は本当に不思議な人だと思う。
でも、そんなところも好きでたまらない。
「もう!なんで克也はそうなのよー!」
言葉ではそう悪態をつきながら、そっぽを向いたままの克也の胸に岬はしがみついた。
克也は不意のことにバランスを崩しかけたが、すぐに立て直す。
「ごめん」
「謝らないで!嬉しいんだから!」
何に対して岬が悪態をついているのかおそらく分かっていないであろう克也が謝るのを岬は制止した。
岬が本気で怒っているわけではないことが分かったのか克也は、しがみつく岬の肩の辺りに優しく手を置いた。
「うん・・・・・・ごめん」
それでもなぜか謝りの言葉は入ってしまうが。
「もしかして、遅れたのもそれが原因?」
岬の言葉が図星とでも言うように、克也が自分の手で口元を押さえた。
もともと待ち合わせた時間だって、いつもの待ち合わせより遅い時間だった。不思議に思いながらも、何か一族の用事があるのだとばかり思って聞かずにいたのだ。
しばしの沈黙の後、克也が気まずそうに話し始める。
「・・・・・・あんなに時間がかかるとは思わなかったよ・・・・・・。尚吾に色々聞いてから店に行ったんだけど、いざ目の前にするとさっぱりで・・・・・・」
そこまで聞いて、克也が何を選んだのか岬はとても気になった。
「これ、開けてみてもいい?」
「うん。気に入らなかったらごめん・・・・・・」
まだ何も言っていないのに申し訳なさそうな克也の横で、ちいさな包みを開ける。紙袋の中には横二辺が曲線になった薄い箱が入っていた。箱を開けると、中身が陽の光を反射してきらりと光る。
白いスポンジに動かないように置かれたそれを、そっとスポンジからはずして拾い上げると、しゃらり、と小さな音がしてチェーンが流れる。
それは、月をかたどったシルバーのネックレスだった。月の中にピンク色の小さな石がはめ込まれている。
「・・・・・・これ、高かったんじゃ?」
自分の目の前にネックレスを掲げ、それ越しに克也を見る。
「うーん、そうでもない、かな。まあ、バイト代入ったばかりだし、高校生に買えるくらいのものだから・・・・・・」
ちょっと歯切れが悪い克也に、大人が贈るような高級なものではないにしろ、それなりの値段だったのが分かる。
「ごめんね、あたしなんてチョコ作っただけだったのに、こんなに素敵なプレゼントもらっちゃって・・・・・・」
なんだか岬のほうが申し訳なくなってしまう。
「いいよ・・・・・・俺があげたかっただけだから」
克也が慌てた。
「ほんとごめん・・・・・・でも嬉しい」
口元を少しほころばせる岬に、克也も満足したように微笑んだ。
克也が、ネックレスを選ぶ姿が想像できず、なんだか本当に不思議な気分だ。
少しして、岬はそのまま自分で首に手をまわしネックレスをつけてみた。鎖骨の少し下辺りで月がきらりと揺れる。
「ありがとう。大事にするね」
とびきりの笑顔で答えるつもりが、涙が自分の視界をさえぎる。
そんな岬に克也は少しはにかんだように笑った。
テレビドラマみたいに『綺麗だ』とか『似合ってる』とかの言葉はなくても、克也のその表情で全てが伝わる気がした。
岬の涙が止まる頃、克也は岬の方に向き直り、口を開いた。
「最近、岬はちょっとおとなしくなった」
意外な言葉に岬は驚く。
「気を使ってくれてるのは、よく分かる。でも、岬はもっと――岬らしくいてほしいんだ」
その言葉に、気づかれていたのだと分かる。
最近、克也にいろいろな場面で強く言えなくなっていること。
けれど――
「だって、それでなくてもあたしのせいで克也はつらい思いをしてるのに!これ以上、迷惑はかけたくないよ・・・・・・。」
岬は首を振る。
「俺は、お前になら迷惑かけられてもいい」
克也は岬を正面から見つめて言った。
けれど、岬には克也が無理をするのこそ耐えられない。
「迷惑かけてもいいだなんて、克也こそあたしに気を使わないで」
岬はまともに克也の顔が見られず、うつむいた。
「そうじゃない。二人でいるための苦労なら厭わないってことなんだ。どんなにきつくても、俺は岬がそばにいてくれるならそれでいい。一族のことは――もちろん、どうしても言えない事も確かにあると思う。でも、ほとんどのことは俺は岬に隠すつもりはないんだ。」
うつむいた岬の頬に克也はそっと手のひらを添えた。
「竜一族の手の内をさらすことになると危惧する声があることも事実だ。でも、俺は岬を信じてる。」
優しい言葉と温かい手のぬくもりに岬はまた涙が出そうになる。
「それに――、お前がおとなしいと調子が狂う。」
今までの、少々格好をつけたような言葉の照れ隠しのように、ぼそりと克也はつぶやいた。その言葉に思わず涙が引っ込む。
「なにそれっ!どういうことよー!」
岬はぷうと膨れた。
けれどそれが克也の優しさから来るものだと分かっているから腹は立たない。
「もっと我がまま言っていいよ」
克也は岬の肩をぽんぽんと軽くたたいた。
「けっこうあたし、今でも我がままだと思うんだけど・・・・・・。克也って、Mでしょ。」
岬は口を尖らせながら、悪戯っ子のような表情で克也を見上げる。
「・・・・・・かも」
克也は肩をすくめた。
その瞬間、二人同時に笑い出してしまう。
――岬は、岬らしく、そばにいてほしい。それが、俺の望みだから――
岬の肩をそっと抱いて、ささやくように、克也はもう一度言った。
世間とは全然日付がずれてしまった二人だけのバレンタインとホワイトデー。
二人にとって、忘れられない日になりそうだった。