鈴蘭の思い

 自分の誕生日は好きじゃなかった。いや、むしろ嫌いだったという方が正しい。   
 織姫と彦星が出会うというこの日は、自分にとっては別れの日だ。
 思えば産まれおちたその日から、自分は本当の父母、兄から引き離されているのだ。それから後も、その日にはろくなことがない。
 大切な人たちと引き離されたこの日に、愛着など湧くわけもなかった。
   
   
  「よっ、克也!また今年もお届けものだぞ!」
 そう元気に言って、窓のそばにある床の間の真ん中辺に尚吾はそっと花を置いた。今回は丁寧にドーム型のプラスチックケースに入れてある。
   
 五年前、蒼嗣の家を出てから、尚吾は毎年誕生日に『自分の母親から』だといってスズランの花を持ってくる。
 七月は本来スズランの時期ではないため、特殊な薬で長持ちするような処理が施されたものらしい。そこまでしてこの花にしなくてもと思うのだが、贈り主はスズランにこだわっているらしい。
 花を愛でる趣味など持ち合わせてはいないのだが、尚吾の母親――、つまり静流からのプレゼントだということで自分がむげにはできないことを尚吾も知っている。
 知っていて、尚吾は持ってくるのだ。
 しかも、花がちゃんと飾られているかしばらくの間は確認にくるという念の入れようだ。   
   
 けれど本当は分かっている。
 静流からだというこの花が、本当は誰から贈られているのか――。
   
 分かっていて、それでも無視していた。
 今更、どんな顔をしてその人の前に出たらいいのか分からなかったから。
   
 けれど。
   
 いつか――、目の前にある問題に決着をつけたら、その人の前に連れて行きたいという人ができた。
 そう思える人に出会えたことで自分が生まれてきてよかったと、ようやく心から思えたから。
   
 だから今年は――。
   
  「いつもありがとうって、お礼を言っておいてくれないかな?『本当の』贈り主に」
 スズランの白く小さな花たちを見つめながら、『本当の』のところを強調して言った。
   
 窓際で、尚吾が息を呑むのが分かった。
   
  「――克也、お前――、知ってたのか」   
 その問いに、ゆっくりと尚吾の方に顔を向けた。
 瞳が交差する。
   
  「知ってた」
 少しだけ微笑んで言うと、尚吾は大きくため息をついてその場に座り込んで胡坐をかく。
  「いや、参ったね、こりゃ。お前の方が一枚上手だったってことか」   
  「そんなんじゃないよ。ただ、タイミング的なこととか、色々と思い当たる節があったから。それに......俺が本家で暮らし始めたから、静流さんからじゃ、直接持ってこない理由が説明できないだろ?」
  「確かに」
  「知ってたのに、でも、言えなかった。――ごめん」
 謝罪の言葉を口にする自分に、尚吾は笑みを見せる。
  「それは俺にじゃなくて、送り主に言ってあげたほうがいいんじゃないか?」
 そう返され、一瞬言葉に詰まる。
   
 本当の贈り主にはもう長いこと会っていない。近くに行くことさえ、許されないことだとずっと思ってきた。
 だが、そんな不義理な自分に花を贈り続けてくれた贈り主のことを考えたら、伝言では確かに申し訳がないと思えた。
   
  「―― そう、だな」
 視線を畳敷きの床に向けながら僅かに口の端を上げる。
  「いずれ......会いに行こうと思ってる」
  「『彼女』を紹介にか?」
 そう言われて、少し恥ずかしさはあったが、ここで否定しても尚吾には気づかれてしまうだろうから、しぶしぶ頷いた。
 途端に、尚吾の顔にも安堵とも喜びともとれる笑みが広がった。
   
  「喜ぶだろうな。―― 静枝さん」
 花の本当の贈り主の名を尚吾は口にした。やはり、と思う。
 久遠を追い出された自分の、育ての母、蒼嗣 静枝(そうし しずえ)。
   
  「知ってるか?スズランの花言葉。――って、お前が知ってるわけないよな」
 尚吾は意味ありげな笑みを浮かべる。
  「スズランの花言葉は、『幸福が訪れる・幸福が帰る』ってことらしい。静枝さんの思いは――つまりはそういうことだ」
 確かに、毎年毎年同じ花が贈られてくるものだと不思議に思ってはいたが、そのことに意味があるとは思ってもみなかった。ただ、この花が好きなんだろうぐらいにしか思っていなかった。なんという大きなものに自分が包まれていたのかと、頭の下がる思いだ。
    
  「静枝母さんが、一生懸命に育ててくれたから、こうして俺はここにいるし、岬にも会えたんだな」
 今なら、その大きな思いを素直に受け入れることができる。
   
 岬と出会い思いを通じ合わせ、将来を考えるようになってくると、おのずと『家族』について思いを馳せるようになる。自分にとって、『家族』のイメージに一番近いのが蒼嗣家の人々だった。血のつながりのない関係でありながら、それを超えた愛情を注いでくれていたのが、今なら分かる気がする。
   
 生まれる前から、影として生きることを決められていた自分。
 もしも引き取られたのが蒼嗣の家でなかったら、これほどまでに『家族の愛』を受けられたかどうか分からない。
   
 こちらがこんなに不義理をしているにも関わらず、毎年変わらずに花を贈り続けてくれた蒼嗣の母。
 今、自分には『母』と呼べる人は、この世にたった一人しかいない。
 自分が、愛する人と共に歩む未来を心に描いていることを、蒼嗣の母は喜んでくれるだろうか。 
 
   
 今度は自分が両手いっぱいのスズランの花を抱えて『母』に会いに行こう、岬と一緒に。
 ―― そう遠くない未来に、きっと。
   
   

 ◆スズランの花言葉:『幸福が訪れる・幸福が帰る』◆

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